新論 / 國體中
天朝以武建國、詰戎方行、由來舊矣、弧矢之利、戈矛之用、既見於神代、寶劍與居三器之一、故號曰、細戈千足之國、 天祖授中州於 天孫、使押日帥來目兵從行、 太祖征戰、亦專以來目爲折衝之用遂平定中土、又置物部、與來目相參、以衛宮城、鎭國土、 崇神天皇遣將軍於四道、討平不庭、使皇子豐城命治東國、而令民農隙射獵、以貢其物、以從征役、規制一立、 歴朝遵奉、土疆日以廣、東斥蝦夷、西淸筑紫、遂平三韓、建府任那、以控制之、治強之實、於是乎見矣、
新字:天朝以武建国、詰戎方行、由来旧矣、弧矢之利、戈矛之用、既見於神代、宝剣与居三器之一、故号曰、細戈千足之国、 天祖授中州於 天孫、使押日帥来目兵従行、 太祖征戦、亦専以来目為折衝之用遂平定中土、又置物部、与来目相参、以衛宮城、鎮国土、 崇神天皇遣将軍於四道、討平不庭、使皇子豊城命治東国、而令民農隙射猟、以貢其物、以従征役、規制一立、 歴朝遵奉、土疆日以広、東斥蝦夷、西清筑紫、遂平三韓、建府任那、以控制之、治強之実、於是乎見矣、
書き下し
天朝は武を以て国を建て、戎を詰め方に行ふこと、由来旧し。弧矢の利、戈矛の用、既に神代に見え、宝剣は三器の一に居る。故に号して細戈千足の国と曰ふ。天祖中州を天孫に授けたまふや、押日をして来目の兵を帥ゐて従ひ行かしむ。太祖の征戦も、亦専ら来目を以て折衝の用と為し、遂に中土を平定したまふ。又物部を置きて、来目と相参へ、以て宮城を衛り、国土を鎮む。崇神天皇将軍を四道に遣はして、不庭を討平し、皇子豊城命をして東国を治めしめ、而して民をして農隙に射猟し、以て其の物を貢し、以て征役に従はしむ。規制一たび立ち、歴朝遵奉し、土疆日に以て広く、東は蝦夷を斥け、西は筑紫を清め、遂に三韓を平げ、府を任那に建て、以て之を控制す。治強の実、是に於てか見ゆ。
現代語訳
我が朝廷は武によって国を建て、軍備を整えて四方を治めてきたこと、その由来は古い。弓矢の便、戈や矛の働きは、すでに神代に見え、宝剣は三種の神器の一つである。だから我が国は「細戈千足の国」(すぐれた矛が十分にそろう国)と呼ばれた。天祖が中つ国を天孫に授けられたとき、天忍日命(押日)に来目部の兵を率いて従わせた。太祖(神武天皇)の征戦でも、もっぱら来目部を敵を退ける力として用い、ついに国の中心を平定された。また物部を置いて来目部と並べ、宮城を守り国土を鎮めさせた。崇神天皇は将軍を四道に遣わして従わない者を討ち平らげ、皇子の豊城命に東国を治めさせ、民には農閑期に狩りをさせて獲物を貢がせ、戦役に従わせた。この制度がひとたび立つと、歴代の天皇がこれを守り、領土は日ごとに広がって、東は蝦夷を退け、西は筑紫を平らげ、ついに三韓を平定し、任那に府を置いて支配した。国が治まり強かった実は、ここに見て取れる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『新論』國體中爾後百余年、世道漸く汚ると雖も、桓武・嵯峨の朝に迨び、遂に陸奥の賊を平げ、蝦夷跡を海外に屏く。則ち猶未だ以て衰弱と為さざるなり。夫れ寇賊を攘除し、土宇を開拓するは、天祖の孫謀を貽したまふ所以にして、天孫の天祖を継述したまふ所以なり。故に皇太神を祭る祝詞に称する有り、「神明の照臨したまふ所、天を窮め地を極め、狭き者は広からしめ、険しき者は平らかならしめ、遠き者は八十綱を以て之を牽くが如し」と。是れ皇化の日に四表に被らんことを禱る所以にして、天朝建国尚武の意も亦見るべきなり。
-
『新論』長計神地神戸を定めて、百神の供奉各常有り、民は朝廷の神祇を敬ふを知る。兵器を用ゐて神を祭り、因りて以て軍令を寓し、而して険要に守り有り、民は朝廷の犯すべからざるを知りて、益之を畏敬す。(按ずるに垂仁紀に、弓矢及び横刀を諸神社に納む、兵器もて神祇を祭ること此に始まると。然れども崇神朝に、既に盾及び矛を以て、墨坂・大坂の神を祠る。蓋し二坂は皆険要の地にして、祭に因りて戎器を修め、以て暗に固険の意を寓す。垂仁朝に至りても亦是の意を襲ふなり。)民朝廷を尊奉畏敬して、叛く者自ら平らぐ。埴安・振根の徒の如き、踵を旋らさずして戮に就く。
-
『新論』國體上昔者、天祖肇めて鴻基を建て、位は即ち天位、徳は即ち天徳、以て天業を経綸し、細大の事、一として天に非ざる者無し。徳を玉に比し、明を鏡に比し、威を剣に比し、天の仁を体し、天の明に則り、天の威を奮ひ、以て万邦を照す。天下を以て皇孫に伝ふるに迨び、手づから三器を授けて、以て天位の信と為し、以て天徳に象り、而して天工に代り天職を治めしめ、然る後之を千万世に伝ふ。天胤の尊、厳乎として其れ犯すべからず、君臣の分定まりて、大義以て明かなり。天祖の神器を伝ふるや、特に宝鏡を執りて祝して曰く、「此を視ること猶ほ吾を視るがごとくせよ」と。而して万世奉祀して、以て天祖の神と為す。聖子神孫、宝鏡を仰ぎて影を其の中に見る。見る所の者は即ち天祖の遺体にして、視ること猶ほ天祖を視るがごとし。是に於てか盥薦の間、神人相感じて、以て已むべからず。則ち其の追遠申孝、敬身修徳、亦豈已むを得んや。父子の親敦くして、至恩以て隆し。
-
『新論』國體中仁徳の朝に至り、海内事無く、兵革試みず。履仲・安康よりして後、漸く衰弱に趨き、十余世を歴て、任那守りを失ひ、三韓朝せず。中宗中興し、皇化の振はざるを憤り、躬ら行営に臨みて任那を経略したまへども、終に克つこと能はず。然れども当時東略を事とし、大いに蝦夷を攘斥し、府を後方羊蹄に建て、(今西蝦夷地に止利別山有り、蓋し古の後方羊蹄の地なり。嘗て聞く、此の山中本路径有りて、蝦夷恒に之を往来す。百余年前、蝦夷叛乱し、是より蝦夷の是の路に由るを得ざるを禁じ、路遂に廃すと。蓋し是の地険要にして、叛虜依阻して以て変を為し易し。故に其の往来を禁ず。而して古者府を此に建つるも、亦険要に拠りて以て夷虜を制するなり。)遂に以て粛慎を征す。其の事は則ち斉明天皇の世に在りと雖も、蓋し中宗儲宮に在りて英略を佐け、而して余威の震ふ所、渤海も亦使を遣はして貢献す。治強の実復た見ゆ。
-
『新論』國體上何をか時勢の変と謂ふ。昔者、天祖肇めて天業を基し、蒼生を愛養し、天邑君を定めて、以て之を綏撫し、勇武を選びて以て下土を経略せしめ、而して民天朝を奉戴するを知る。然れども天造草昧にして、四方未だ平らかなるに底らず、土豪邑傑、所在に割拠し、数世を歴て未だ相統一せず。大祖神武天皇既に天下を定め、国造を封建し、人神を司牧せしめ、旧族世家、悉く之を維ぐに名位を以てし、而して土地人民悉く朝廷に帰し、天下大いに治まる。(孟子曰く、「諸侯の宝三つ、土地・人民・政事」と。周官、天官首めに六典を掌りて邦国を治むる者は、政事に於て統べざる所無きなり。地官首めに土地の図・人民の数を掌る者は、土地人民統べざる所無きなり。二官四時の官を経紀して、春秋二官の掌る所は、多く典礼政刑の事なり。夏官の軍を制する者は、人民を用ゐるなり。冬官の土を司空る者は、土地を治むるなり。孟子の土地人民を以て政事と並び称する者は、其の旨甚だ深し。而して古者土地人民を重んずる、其の意亦見るべし。)
-
『新論』長計夫れ善く万世を維持する者は、念慮永遠にして、必ず先づ其の大経を立つ。而して天命人心、物則民彝、瞭然として火を観るが如くにして、然る後教訓化導し、序に循ひて之を施す。万世の典常は、固より我が胸中の事なり。昔者天祖神道を以て教へを設け、忠孝を明らかにして以て人紀を立つ。其の万世を維持する所以の者、固より既に瞭然たり。太古に始まりて、無窮に垂る。天孫奉承して、以て皇化を弘む。天祖設教の遺意に非ざる莫し。太祖の征戦するや、毎に神威に仗りて、以て武功を成す。(太祖の中土を平らぐるや、先づ神祇を礼祭し、日神の威を背負ひて進戦す。其の韴霊剣を提げ、及び頭八咫烏を以て郷導と為す等の事の如きは、皆天神の教へを奉ずる者にして、天神地祇を丹生の川上に祭り、道臣に勅して高皇産霊尊を祭らしむるの類、皆神威に仗らざる莫きなり。)中州を定むるに及び、霊畤を鳥見に立て、皇祖天神を報祭し、以て大孝を申ぶ。(初め長髄彦を撃ち、鵄の瑞を得て遂に之に克つ。故に其の地を号して鵄邑と為す、即ち鳥見なり。則ち其の畤を此に立つるは、蓋し以有るなり。)
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る