新論 / 國體上
〈中庸云、郊社之禮、所以事上帝也、宗廟之禮、所以祀乎其先也、明乎郊社之禮禘嘗之義治國其如示諸掌乎、蓋治國示掌者、郊社禘嘗、而其禮與義、則曰事帝祀先是也、亦與 神聖立敎之意合矣、〉若能因而益修明 祖宗政敎、久而不倦、則其功烈將有不可勝言者焉、而異端邪説、相踵而作、有巫覡之流、有浮屠之法、有陋儒俗學、有西荒耶蘇之説、及他所以淆化傷俗者、不勝枚擧也、
新字:〈中庸云、郊社之礼、所以事上帝也、宗廟之礼、所以祀乎其先也、明乎郊社之礼禘嘗之義治国其如示諸掌乎、蓋治国示掌者、郊社禘嘗、而其礼与義、則曰事帝祀先是也、亦与 神聖立教之意合矣、〉若能因而益修明 祖宗政教、久而不倦、則其功烈将有不可勝言者焉、而異端邪説、相踵而作、有巫覡之流、有浮屠之法、有陋儒俗学、有西荒耶蘇之説、及他所以淆化傷俗者、不勝枚挙也、
書き下し
(中庸に云ふ、「郊社の礼は、上帝に事ふる所以なり。宗廟の礼は、其の先を祀る所以なり。郊社の礼、禘嘗の義に明かならば、国を治むること其れ諸を掌に示すが如きか」と。蓋し国を治むること掌に示す者は、郊社禘嘗にして、其の礼と義とは、則ち帝に事へ先を祀ると曰ふ是れなり。亦神聖の教を立つるの意と合す。)若し能く因りて益々祖宗の政教を修明し、久しくして倦まずんば、則ち其の功烈将に勝げて言ふべからざる者有らんとす。而るに異端邪説、相踵いで作る。巫覡の流有り、浮屠の法有り、陋儒俗学有り、西荒耶蘇の説有り、及び他の化を淆し俗を傷る所以の者、枚挙するに勝へざるなり。
現代語訳
(『中庸』に「郊社の礼は上帝に仕えるためのものである。宗廟の礼は祖先を祀るためのものである。郊社の礼と禘嘗の祭の意義に明らかであれば、国を治めることは掌を指し示すようにたやすいだろう」とある。思うに、国を治めることが掌を示すようにたやすいのは郊社と禘嘗によるのであり、その礼と義とは、天帝に仕え祖先を祀るということである。これもまた神聖が教えを立てた意図と合致する。)もしこれによってますます祖宗の政治と教化を整えて明らかにし、長く怠らなければ、その功績は言い尽くせないほどになっただろう。ところが異端邪説が次々と起こった。巫覡(祈祷する者)の流れがあり、浮屠(仏教)の法があり、偏狭な儒者や俗な学問があり、西方の果てのヤソ(キリスト教)の説があり、そのほか教化を乱し風俗を損なうものは、数えきれない。
解説
この章句が説くこと
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