導師導古典を学びたいすべての人に

新論 / 國體上

〈皇子不宜爲緇徒、熊澤伯繼新井君美論之極詳矣、然議者或患歳月之久、瓜瓞蕃衍、供億難給、而君美辨之曰、天地間自有大算數、消息盈虚、非智力之所及、當論其義之當否也、了介曰、宜令諸國設學校、以皇子及公卿子弟爲之師長則天胤之不億、可有以處之、二子所論極是矣、且古制皇子爲親王、親王子孫爲諸王、五世之後、賜姓列爲庶臣、則亦何患其難供給乎、如其詳、則臣將別有所論述焉、〉土地人民之不得統於一、政敎不可以施、其極忠孝倶廢、而天人之大道委地矣、

新字:〈皇子不宜為緇徒、熊沢伯継新井君美論之極詳矣、然議者或患歳月之久、瓜瓞蕃衍、供億難給、而君美弁之曰、天地間自有大算数、消息盈虚、非智力之所及、当論其義之当否也、了介曰、宜令諸国設学校、以皇子及公卿子弟為之師長則天胤之不億、可有以処之、二子所論極是矣、且古制皇子為親王、親王子孫為諸王、五世之後、賜姓列為庶臣、則亦何患其難供給乎、如其詳、則臣将別有所論述焉、〉土地人民之不得統於一、政教不可以施、其極忠孝倶廃、而天人之大道委地矣、

書き下し

(皇子の宜しく緇徒と為るべからざること、熊沢伯継・新井君美之を論ずること極めて詳かなり。然れども議者或は歳月の久しき、瓜瓞蕃衍して、供億給し難きを患ふ。而して君美之を弁じて曰く、「天地の間自ら大算数有り、消息盈虚は、智力の及ぶ所に非ず。当に其の義の当否を論ずべきなり」と。了介曰く、「宜しく諸国をして学校を設けしめ、皇子及び公卿の子弟を以て之が師長と為すべし。則ち天胤の不億なる、以て之を処する有るべし」と。二子の論ずる所極めて是なり。且つ古制、皇子を親王と為し、親王の子孫を諸王と為し、五世の後、姓を賜ひて列して庶臣と為す。則ち亦何ぞ其の供給し難きを患へんや。其の詳の如きは、則ち臣将に別に論述する所有らんとす。)土地人民の一に統べらるるを得ざれば、政教以て施すべからず。其の極は忠孝倶に廃れて、天人の大道地に委す。

現代語訳

(皇子が僧侶になるべきでないことは、熊沢伯継(蕃山)と新井君美(白石)がきわめて詳しく論じている。しかし論者の中には、年月がたつと瓜のつるのように子孫が増えて、その費用をまかないきれなくなることを心配する者もいる。これについて白石は「天地の間にはおのずから大きな数の法則があり、増減や満ち欠けは人の知恵や力の及ぶところではない。その義が正しいかどうかを論じるべきである」と弁じた。了介(蕃山)は「諸国に学校を設けさせ、皇子や公卿の子弟をその師長とすべきである。そうすれば数多い皇族の子孫にも、身の処し方があるだろう」と言った。二人の論はきわめて正しい。しかも古い制度では、皇子を親王とし、親王の子孫を諸王とし、五世の後には姓を賜って臣下の列に加えた。それならば、どうして費用をまかないきれないことを心配する必要があろうか。詳しいことは、私が別に論述するつもりである。)土地と人民が一つに統べられないと、政治も教化も施すことができない。その行き着くところは、忠孝がともに廃れ、天と人をつらぬく大道が地に落ちることである。

解説

割注で正志斎は、皇子を出家させる慣行への批判を、熊沢蕃山と新井白石の議論を引いて補強する。費用の心配に対して、白石は義の当否を先に論じよと説き、蕃山は皇族を諸国の学校の師長にする案を示した。正志斎はさらに、古代に五世の後は姓を賜って臣下の列に加えた制度を挙げ、財政の心配は解けると論じる。本文に戻っては、土地人民が統一されなければ政治も教化も行えず、忠孝ともに廃れると総括する。費用を理由に原則を曲げる前に、制度の工夫で両立させる道を探る姿勢は、現代の経営判断にも通じる。

この章句が説くこと

皇子制度義忠孝新井白石熊沢蕃山

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る