政談 / 戶籍の事
當時御城下に數百萬の人を集め置き、諸國の米を悉く御城下へ運ひ來り食費す、當分は賑かに繁昌に見えて目出たきことなれとも、奧筋にことあれは仙臺の米は入るまじ、西國にことあらは上方米は入るまし、其ときは御城下の民食にかつへて騒き立たれは何と靜めても靜めかたかるへし、飢に迫りて何ことをせんも測り難し、七年の疾に三年の艾と云ふことあり、そのときに至りては詮方更にあるまじきなり、諸大名の米も皆商人に賣渡したれは、諸國にてもそのときは難儀甚たしかるへし、此等のことも代の末になりては必らすこれなきことにはあらす、近き憂あるは遠き慮りなき故なりと、かく戶籍を立てゝ人を土地にありつける仕方古聖人その深智なることよく味ひ知へし、本を重んし末を抑ゆると云ふこと是れ古聖人の法なり、本とは農なり、末とは工商なり、工商盛になりて農業衰ふれは、代は兎角かたのことく成りゆくこと是れ亦あきらかなるとしるへし、
新字:当時御城下に数百万の人を集め置き、諸国の米を悉く御城下へ運ひ来り食費す、当分は賑かに繁昌に見えて目出たきことなれとも、奥筋にことあれは仙台の米は入るまじ、西国にことあらは上方米は入るまし、其ときは御城下の民食にかつへて騒き立たれは何と静めても静めかたかるへし、飢に迫りて何ことをせんも測り難し、七年の疾に三年の艾と云ふことあり、そのときに至りては詮方更にあるまじきなり、諸大名の米も皆商人に売渡したれは、諸国にてもそのときは難儀甚たしかるへし、此等のことも代の末になりては必らすこれなきことにはあらす、近き憂あるは遠き慮りなき故なりと、かく戸籍を立てゝ人を土地にありつける仕方古聖人その深智なることよく味ひ知へし、本を重んし末を抑ゆると云ふこと是れ古聖人の法なり、本とは農なり、末とは工商なり、工商盛になりて農業衰ふれは、代は兎角かたのことく成りゆくこと是れ亦あきらかなるとしるへし、
書き下し
当時御城下に数百万の人を集め置き、諸国の米を悉く御城下へ運ひ来り食費す、当分は賑かに繁昌に見えて目出たきことなれとも、奥筋にことあれは仙台の米は入るまじ、西国にことあらは上方米は入るまし、其ときは御城下の民食にかつへて騒き立たれは何と静めても静めかたかるへし、飢に迫りて何ことをせんも測り難し、七年の疾に三年の艾と云ふことあり、そのときに至りては詮方更にあるまじきなり、諸大名の米も皆商人に売渡したれは、諸国にてもそのときは難儀甚たしかるへし、此等のことも代の末になりては必らすこれなきことにはあらす、近き憂あるは遠き慮りなき故なりと、かく戸籍を立てゝ人を土地にありつける仕方古聖人その深智なることよく味ひ知へし、本を重んし末を抑ゆると云ふこと是れ古聖人の法なり、本とは農なり、末とは工商なり、工商盛になりて農業衰ふれは、代は兎角かたのことく成りゆくこと是れ亦あきらかなるとしるへし、
現代語訳
今、御城下に数百万の人を集めておき、諸国の米をことごとく御城下へ運んできて食べ費やしている。当座はにぎやかに繁昌しているように見えてめでたいことだが、奥筋に事があれば仙台の米は入らないだろう。西国に事があれば上方の米は入らないだろう。そのときは御城下の民が食に飢えて騒ぎ立てれば、どう鎮めても鎮めがたいだろう。飢えに迫って何をするかも測りがたい。「七年の病に三年の艾(もぐさ)」(長患いを治すには、前もって三年寝かせた艾を蓄えておかねばならない)ということがある。そのときになっては、まったく手立てがないだろう。諸大名の米もみな商人に売り渡しているので、諸国でもそのときは難儀がはなはだしいだろう。これらのことも、代の末になっては必ず起こらないとは言えない。近き憂いがあるのは遠き慮りがないからだと言う。このように戸籍を立てて人を土地に落ち着ける古の聖人のやり方の、その深い知恵をよく味わい知るべきである。本を重んじ末を抑えるということが、古の聖人の法である。本とは農であり、末とは工商である。工商が盛んになって農業が衰えれば、代はとにかくそのように成りゆくことも、これまた明らかであると知るべきである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』武家米を貯ふる仕方の事今時の愚か成る軍者なとは金をたむるを軍用とす、左様に乱に至りては米払底なるものなるゆゑ、何程金ありても土石を積みたるか如く何の用にも立たぬことなり、特に今時の二合半と云ふは松平伊豆守か定めたることにて、治世にて江戸はいくはいするそへのことなり、軍法に籠城の節は一人前一昼夜の食事三升とあつることなり、左様の節は精を出し働く事故、米特の外入ることなり、今も諸大名の家には一人扶持一升と定めたる家もあるなり、取ると否や売り払ふて金にして商人の手に売渡しては肝煎のときの米はいつかたへ行きたるやらん取戻されましき也、
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『墨子』七患子墨子曰く、國に七患有り。七患なる者は何ぞ。城郭溝池、守る可からずして、宫室を治む、一の患なり。邊寇、境に至るも、四鄰救う莫し、二の患なり。先ず民力を無用の功に盡くし、無能の人に賞賜し、民力、無用に盡き、財寳、侍客に虚し、三の患なり。仕うる者は祿を待ち、游ぶ者は反るを思い、君は法を脩めて臣を討ち、臣は懾れて敢えて拂らわず、四の患なり。君、自ら以て聖智と為して事を問わず、自ら以て安彊と為して守備無く、四鄰、之を謀るも戒を知らず、五の患なり。言う所は忠ならず、忠とする所は信ならず、六の患なり。畜え種うる菽粟、以て之を食らわすに足らず、大臣、事を治むるに足らず、賞賜は喜ばしむる能わず、誅罰は威らしむる能わず、七の患なり。七患を以て國に居らば、必ず社稷無からん。七患を以て城を守らば、敵至りて國傾かん。七患の當たる所、國に必ず殃有り。
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『甲陽軍鑑』品第十四されども山県三郎兵衛しるしをば志村と云ふ被官があげて、しかも甲府へ持来り、敵にとられず、信長此時付入にいたすならば中々国の滅却疑有まじ、是とても信玄公御在世の時、信濃の人衆を一万五千づゝ某にさしそへてをき給フ、兼ての積りより二千すくなく信濃に残れば、北条殿へ機遣上野·駿河勢多不立故也、扨其仕置当年行キあたりて、二千越後のおさへにおき、一万千をめしつれこまんば迄御向ひに参を、
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李衛公問対・卷下若し攻めて守を知らず、守りて攻を知らざれば、唯だに其の事を二にするのみならず、抑(そもそも)又其の官を二にす。口に孫・呉を誦すと雖も、心に攻守両(ふた)つながら斉しきの説を妙思せずんば、其れ孰(たれ)か能く其の然るを知らんや。」太宗曰く、「『司馬法』に言ふ、『国大なりと雖も、戦ひを好めば必ず亡ぶ。天下平らかなりと雖も、戦ひを忘るれば必ず危ふし』と。此れ亦攻守一道か。」靖曰く、「国を有ち家を有つ者、曷(なん)ぞ嘗て攻守を講ぜざらんや。夫れ
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論語・子路篇子曰く、善人民を教うること七年ならば、亦た以て戎に即かしむ可し。
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『塩鉄論』世務篇大夫曰く、事は豫め辯えずんば、以て卒に應ず可からず。內に備え無くんば、以て敵を禦ぐ可からず。《詩》に云う、「爾の民人に誥げ、爾の侯度を謹み、用て不虞に戒む」と。故に文事有れば、必ず武備有り。昔、宋の襄公は楚を信じて備えず、以て大辱を取れり。身は囚われ、國は幾んど亡ぶ。故に誠信の心有りと雖も、權變を知らざるは、危亡の道なり。春秋は夷・狄の中國を執うるを與せず。其の信無きが為なり。匈奴は貪狼にして、時に因りて動き、可に乘じて發す。飆のごとく舉がり電のごとく至る。而るに誠信の心、金帛の寶を以て、義無きの詐を信ぜんと欲するは、是れ猶お跖・蹻に親しみて猛虎を扶くるがごときなり。
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