政談 / 武家米を貯ふる仕方の事
今時の愚か成る軍者なとは金をたむるを軍用とす、左樣に亂に至りては米拂底なるものなるゆゑ、何程金ありても土石を積みたるか如く何の用にも立たぬことなり、特に今時の二合半と云ふは松平伊豆守か定めたることにて、治世にて江戶はいくはいするそへのことなり、軍法に籠城の節は一人前一晝夜の食事三升とあつることなり、左樣の節は精を出し働く事故、米特の外入ることなり、今も諸大名の家には一人扶持一升と定めたる家もあるなり、取ると否や賣り拂ふて金にして商人の手に賣渡しては肝煎のときの米はいつかたへ行きたるやらん取戾されましき也、
新字:今時の愚か成る軍者なとは金をたむるを軍用とす、左様に乱に至りては米払底なるものなるゆゑ、何程金ありても土石を積みたるか如く何の用にも立たぬことなり、特に今時の二合半と云ふは松平伊豆守か定めたることにて、治世にて江戸はいくはいするそへのことなり、軍法に籠城の節は一人前一昼夜の食事三升とあつることなり、左様の節は精を出し働く事故、米特の外入ることなり、今も諸大名の家には一人扶持一升と定めたる家もあるなり、取ると否や売り払ふて金にして商人の手に売渡しては肝煎のときの米はいつかたへ行きたるやらん取戻されましき也、
書き下し
今時の愚か成る軍者なとは金をたむるを軍用とす、左様に乱に至りては米払底なるものなるゆゑ、何程金ありても土石を積みたるか如く何の用にも立たぬことなり、特に今時の二合半と云ふは松平伊豆守か定めたることにて、治世にて江戸はいくはいするそへのことなり、軍法に籠城の節は一人前一昼夜の食事三升とあつることなり、左様の節は精を出し働く事故、米特の外入ることなり、今も諸大名の家には一人扶持一升と定めたる家もあるなり、取ると否や売り払ふて金にして商人の手に売渡しては肝煎のときの米はいつかたへ行きたるやらん取戻されましき也、
現代語訳
今どきの愚かな軍学者などは、金を貯めることを軍用とする。そのように乱になってしまえば米は払底するものなので、どれほど金があっても土や石を積んだのと同じで何の用にも立たないことである。ことに今どきの二合半というのは松平伊豆守(信綱)が定めたことで、治世で江戸の徘徊する(暮らしの)添え物としてのことである。軍法では籠城のとき一人前一昼夜の食事は三升とあてることである。そのようなときは精を出して働くので、米はことのほか要るのである。今も諸大名の家には一人扶持を一升と定めた家もあるのである。取るとすぐに売り払って金にし、商人の手に売り渡しては、肝心のときの米はどこへ行ったやら、取り戻せないであろう。
解説
この章句が説くこと
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『政談』戶籍の事当時御城下に数百万の人を集め置き、諸国の米を悉く御城下へ運ひ来り食費す、当分は賑かに繁昌に見えて目出たきことなれとも、奥筋にことあれは仙台の米は入るまじ、西国にことあらは上方米は入るまし、其ときは御城下の民食にかつへて騒き立たれは何と静めても静めかたかるへし、飢に迫りて何ことをせんも測り難し、七年の疾に三年の艾と云ふことあり、そのときに至りては詮方更にあるまじきなり、諸大名の米も皆商人に売渡したれは、諸国にてもそのときは難儀甚たしかるへし、此等のことも代の末になりては必らすこれなきことにはあらす、近き憂あるは遠き慮りなき故なりと、かく戸籍を立てゝ人を土地にありつける仕方古聖人その深智なることよく味ひ知へし、本を重んし末を抑ゆると云ふこと是れ古聖人の法なり、本とは農なり、末とは工商なり、工商盛になりて農業衰ふれは、代は兎角かたのことく成りゆくこと是れ亦あきらかなるとしるへし、
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『墨子』七患子墨子曰く、國に七患有り。七患なる者は何ぞ。城郭溝池、守る可からずして、宫室を治む、一の患なり。邊寇、境に至るも、四鄰救う莫し、二の患なり。先ず民力を無用の功に盡くし、無能の人に賞賜し、民力、無用に盡き、財寳、侍客に虚し、三の患なり。仕うる者は祿を待ち、游ぶ者は反るを思い、君は法を脩めて臣を討ち、臣は懾れて敢えて拂らわず、四の患なり。君、自ら以て聖智と為して事を問わず、自ら以て安彊と為して守備無く、四鄰、之を謀るも戒を知らず、五の患なり。言う所は忠ならず、忠とする所は信ならず、六の患なり。畜え種うる菽粟、以て之を食らわすに足らず、大臣、事を治むるに足らず、賞賜は喜ばしむる能わず、誅罰は威らしむる能わず、七の患なり。七患を以て國に居らば、必ず社稷無からん。七患を以て城を守らば、敵至りて國傾かん。七患の當たる所、國に必ず殃有り。
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『甲陽軍鑑』品第十四されども山県三郎兵衛しるしをば志村と云ふ被官があげて、しかも甲府へ持来り、敵にとられず、信長此時付入にいたすならば中々国の滅却疑有まじ、是とても信玄公御在世の時、信濃の人衆を一万五千づゝ某にさしそへてをき給フ、兼ての積りより二千すくなく信濃に残れば、北条殿へ機遣上野·駿河勢多不立故也、扨其仕置当年行キあたりて、二千越後のおさへにおき、一万千をめしつれこまんば迄御向ひに参を、
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李衛公問対・卷下若し攻めて守を知らず、守りて攻を知らざれば、唯だに其の事を二にするのみならず、抑(そもそも)又其の官を二にす。口に孫・呉を誦すと雖も、心に攻守両(ふた)つながら斉しきの説を妙思せずんば、其れ孰(たれ)か能く其の然るを知らんや。」太宗曰く、「『司馬法』に言ふ、『国大なりと雖も、戦ひを好めば必ず亡ぶ。天下平らかなりと雖も、戦ひを忘るれば必ず危ふし』と。此れ亦攻守一道か。」靖曰く、「国を有ち家を有つ者、曷(なん)ぞ嘗て攻守を講ぜざらんや。夫れ
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