新論 / 國體上
夫以 天祖之遺體、而膺 天祖之事、肅然僾然、見當初儀容於今日、則君臣觀感、洋洋乎如在 天祖之左右、而群臣之視 天孫、亦猶視 天祖、其情之發於自然者、豈得已哉、而群臣也者、亦皆神明之胄、其先世事 天祖 天孫、有功德於民、列在祀典、而宗子糾緝族人、以主其祭、〈古者故家名族、爲國造縣主等者、各統其族人而祭其先、若大己貴之後爲三輪君、而世祭大己貴、思兼之後爲秩父國造、而世祭思兼之類、凡舊族莫不皆然、至 天智帝、定氏上、即大寶令所稱氏宗者、而亦因舊俗而潤飾之也、後世郷里所祭之神、稱氏神、其土人稱氏子、蓋亦其遺俗也、〉入以追孝其祖、出以供奉大祭、亦各以其祖先之遺體、行祖先之事、
新字:夫以 天祖之遺体、而膺 天祖之事、粛然僾然、見当初儀容於今日、則君臣観感、洋洋乎如在 天祖之左右、而群臣之視 天孫、亦猶視 天祖、其情之発於自然者、豈得已哉、而群臣也者、亦皆神明之胄、其先世事 天祖 天孫、有功徳於民、列在祀典、而宗子糾緝族人、以主其祭、〈古者故家名族、為国造県主等者、各統其族人而祭其先、若大己貴之後為三輪君、而世祭大己貴、思兼之後為秩父国造、而世祭思兼之類、凡旧族莫不皆然、至 天智帝、定氏上、即大宝令所称氏宗者、而亦因旧俗而潤飾之也、後世郷里所祭之神、称氏神、其土人称氏子、蓋亦其遺俗也、〉入以追孝其祖、出以供奉大祭、亦各以其祖先之遺体、行祖先之事、
書き下し
夫れ天祖の遺体を以て、天祖の事に膺り、粛然僾然として、当初の儀容を今日に見れば、則ち君臣観感して、洋洋乎として天祖の左右に在るが如く、而して群臣の天孫を視ること、亦猶ほ天祖を視るがごとし。其の情の自然に発する者、豈已むを得んや。而して群臣なる者も、亦皆神明の胄にして、其の先世、天祖・天孫に事へ、民に功徳有りて、列して祀典に在り。而して宗子族人を糾緝して、以て其の祭を主る。(古は故家名族の国造・県主等為る者、各其の族人を統べて其の先を祭る。大己貴の後、三輪君と為りて、世々大己貴を祭り、思兼の後、秩父国造と為りて、世々思兼を祭るの類の若き、凡そ旧族皆然らざるは莫し。天智帝に至りて、氏上を定む。即ち大宝令に称する所の氏宗なる者にして、亦旧俗に因りて之を潤飾するなり。後世郷里の祭る所の神を氏神と称し、其の土人を氏子と称するは、蓋し亦其の遺俗なり。)入りては以て其の祖に追孝し、出でては以て大祭に供奉し、亦各其の祖先の遺体を以て、祖先の事を行ふ。
現代語訳
天祖の遺した身体(子孫である天皇)が天祖の事を行い、おごそかに、ありありと当初の姿を今日に見るので、君も臣も見て心を動かされ、あたかも天祖のそばにいるかのようであり、群臣が天孫を見ることも天祖を見るのと同じである。その情が自然にわき起こるのは、どうしてやめられようか。そして群臣もまた皆神々の子孫であり、その祖先は天祖・天孫に仕えて民に功徳があり、祭祀の対象に列している。そして本家の長が一族を集めて、その祭を主宰する。(古くは由緒ある名族で国造・県主などとなった者は、それぞれ一族を率いて祖先を祭った。大己貴神の子孫が三輪君となって代々大己貴神を祭り、思兼神の子孫が秩父国造となって代々思兼神を祭った類のように、およそ古い氏族はみなそうであった。天智天皇の時に氏上を定めた。これは大宝令にいう氏宗であり、古い習俗に基づいて整えたものである。後世、郷里で祭る神を氏神といい、その土地の人を氏子と呼ぶのは、おそらくその名残である。)家に入っては祖先に孝を尽くし、外に出ては大祭に奉仕し、それぞれ祖先の遺した身体で、祖先と同じ事を行う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段又問、或人云、子曰、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ひなりと、祭べからずとのたまふ。我朝には、土地の神、又太神宮といへども、御恩の為に、五穀の出来、初穂や或は神楽などを捧奉ることなれば、兎角唐土とは違有と云り。然るに汝、神は一列の如くに云へるは、如何なることぞ。
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