新論 / 國體上
其他供凡百之具亦莫非齋部之所掌、而至百執事者、亦皆世其職、奕世不墜、駿奔承事、毫無異於 天祖傳祚之日、而君臣皆不得忘其初也、〈太玉統領日鷲手置帆負彦狹知櫛明玉目一箇等、以奉事天祖、天富亦悉率諸氏之後、造鏡及矛盾諸物、大嘗之日、日鷲手置帆負等之孫、供奉諸物、一如其先世之舊、而其細如伴之燧火、安曇之吹火、車持之執菅蓋之類、亦莫非世其職也、〉
新字:其他供凡百之具亦莫非斎部之所掌、而至百執事者、亦皆世其職、奕世不墜、駿奔承事、毫無異於 天祖伝祚之日、而君臣皆不得忘其初也、〈太玉統領日鷲手置帆負彦狭知櫛明玉目一箇等、以奉事天祖、天富亦悉率諸氏之後、造鏡及矛盾諸物、大嘗之日、日鷲手置帆負等之孫、供奉諸物、一如其先世之旧、而其細如伴之燧火、安曇之吹火、車持之執菅蓋之類、亦莫非世其職也、〉
書き下し
其の他凡百の具を供するも亦斎部の掌る所に非ざるは莫し。而して百執事に至る者も、亦皆其の職を世々にし、奕世墜さず、駿奔承事して、毫も天祖伝祚の日に異なる無し。而して君臣皆其の初めを忘るるを得ざるなり。(太玉、日鷲・手置帆負・彦狭知・櫛明玉・目一箇等を統領して、以て天祖に奉事す。天富も亦悉く諸氏の後を率ゐて、鏡及び矛盾の諸物を造る。大嘗の日、日鷲・手置帆負等の孫、諸物を供奉すること、一に其の先世の旧の如し。而して其の細なる、伴の燧火、安曇の吹火、車持の執菅蓋の類の如きも、亦其の職を世々にせざるは莫きなり。)
現代語訳
そのほか、あらゆる道具を供えることも、すべて斎部の担当である。そして多くの役人に至るまで、みなその職を代々受け継ぎ、何代にもわたって落とすことなく、駆けつけて仕え、天祖が位を伝えた日と少しも変わるところがない。こうして君も臣も、その初めを忘れることができないのである。(太玉命は天日鷲・手置帆負・彦狭知・櫛明玉・天目一箇らを率いて天祖に仕えた。天富命もまた諸氏の子孫をすべて率いて、鏡や矛・盾などを造った。大嘗祭の日には、日鷲や手置帆負らの子孫が諸物を供えることが、すべて祖先の昔どおりである。そして細かなことでも、大伴氏の燧火(火をきる役)、安曇氏の吹火(火を吹く役)、車持氏が菅蓋(すげのかさ)を持つ役のようなものまで、その職を代々受け継がないものはない。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 封禅書黄犢・羔各四、珪幣各々数有り、皆生きながら瘞め埋め、俎豆の具無し。三年に一たび郊す。秦は冬十月を以て歳首と為す、故に常に十月を以て上宿して郊見し、権火を通じ、咸陽の旁に拝し、而して衣は白を上ぶ。其の用は経祠の如しと云ふ。西畤・畦畤は祠ること其の故の如く、上親ら往かず。諸々の此の祠は皆太祝常に主り、歳時を以て之を奉祠す。他の名山川・諸鬼及び八神の属の如きに至りては、上過ぐれば則ち祠り、去れば則ち已む。郡県遠方の神祠は、民各々自ら奉祠し、天子の祝官に領せず。祝官に秘祝有り、即ち菑祥有れば、輒ち祝祠して過ちを下に移す。漢興り、高祖の微なりし時、嘗て大蛇を殺す。物有りて曰く、「蛇は白帝の子なり、而して殺す者は赤帝の子なり」と。高祖初めて起つや、豊の枌楡の社に禱る。沛を徇へ、沛公と為るや、則ち蚩尤を祠り、鼓旗に釁る。遂に十月を以て灞上に至り、諸侯と咸陽を平げ、立ちて漢王と為る。因りて十月を以て年首と為し、而して色は赤を上ぶ。二年、東のかた項籍を撃ちて還りて関に入り、問ふ、「故の秦の時、上帝の祠は何の帝ぞや」と。対へて曰く、「四帝、白・青・黄・赤帝の祠有り」と。高祖曰く、「吾聞く、天に五帝有りと。而るに四有るは、何ぞや」と。其の説を知る莫し。是に於て高祖曰く、「吾之を知れり。乃ち我を待ちて五を具ふるなり」と。乃ち黒帝の祠を立て、命じて北畤と曰ふ。有司進めて祠り、上親ら往かず。悉く故の秦の祝官を召し、復た太祝・太宰を置き、其の故の儀礼の如くす。因りて県をして公社を為らしむ。詔を下して曰く、「吾甚だ祠を重んじて祭を敬ふ。今、上帝の祭及び山川の諸神の当に祠るべき者は、各々其の時を以て之を礼祠すること故の如くせよ」と。後四歳、天下已に定まり、御史に詔し、豊をして謹みて枌楡の社を治めしめ、常に四時を以て春に羊彘を以て之を祠らしむ。祝官に令して蚩尤の祠を長安に立てしむ。長安に祠祝官・女巫を置く。
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説苑・修文聖人鼓・控・揭・塤・箎を作為し、此の六者を比するに德音の音なり、然る後鐘・磬・竽・瑟以て之を和し、然る後干・戚・旄・狄以て之を舞う。此れ先王の廟を祭る所以なり、此れ酢酳の酬を獻ずる所以なり、官序貴賤各おの其の宜しきを得る所以なり、此れ以て後世に尊卑長幼の序有るを示すべきなり。
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『新論』國體上御禊は潔を致す所以なり。天皇徒跣して警蹕せざるは、敬の至りなり。日蔭鬘・帛御衣は、至敬にして文無きなり。天祖位を伝ふるの日に当り、天児屋をして帝命を出納せしめ、天太玉をして百事に供奉せしむ。児屋の後を中臣氏と為し、太玉の後を斎部氏と為す。故に祭の日、中臣は天神の寿詞を奏し、斎部は神璽の鏡剣を奉る。累世奕葉、必ず当初の儀に仍る。猶ほ新たに命を天祖に受くるがごときなり。(天祖、児屋・太玉等五部の神をして皇孫に侍せしめ、神籬を建て、以て皇孫を護衛すること、猶ほ天上の儀のごとし。神武帝天下を平らぐるや、亦神籬を建て、児屋の孫種子・太玉の孫天富をして、鏡剣を奉じ幣帛を陳ねしむ。而して歴世遵奉する所、是の儀に非ざるは莫し。崇神帝の天祖を笠縫に祭るに及び、石凝姥嘗て天祖に事へて鏡を鋳、目一箇作金者と為りしを以て、故に斎部に命じ、二氏の後を率ゐて、鏡剣を摸造し、以て殿内に奉安せしむ。即ち践祚の日に斎部の奉る所の物是れなり。其の永く旧物を存し、敢へて失墜せざること是くの如し。)
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『春秋左氏伝』文公二年 僖公を躋す、逆祀なり秋八月、丁卯、大廟に大事し、僖公を躋(のぼ)す、逆祀なり。是に於いて夏父弗忌宗伯と為り、僖公を尊び、且つ見る所を明らかにして曰く、「吾新鬼の大にして、故鬼の小なるを見る。大を先にし小を後にするは、順なり。聖賢を躋すは、明なり。明・順は、禮なり」と。君子以って禮を失ふと為す。禮は順ならざる無し。祀は、國の大事なり。而して之を逆にす、禮と謂ふ可けんや。子齊聖なりと雖も、父に先だちて食はざること久し。故に禹は鯀に先だたず、湯は契に先だたず、文・武は不窋に先だたず。宋は帝乙を祖とし、鄭は厲王を祖とするも、猶ほ祖を上にするなり。是を以って《魯頌》に曰く、「春秋に解らず、享祀忒(たが)はず。皇皇たる后帝、皇祖后稷」と。君子禮と曰ふは、其の后稷は親しくして、帝を先にするを謂ふなり。詩に曰く、「我が諸姑に問ひ、遂に伯姊に及ぶ」と。君子曰く、「禮は其の姊は親しくして姑を先にするを謂ふなり」と。仲尼曰く、「臧文仲其れ不仁なる者三、不知なる者三。展禽を下し、六關を廢し、妾に蒲を織らしむ、三の不仁なり。虛器を作り、逆祀を縱し、爰居を祀る、三の不知なり」と。
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『玉勝間』十一の巻 堀川ノ天皇神楽を多ノ近方に伝へさせ給へる事神楽の曲は、すでに絶えぬべかりける事を、御門の御口より給いける。めでたかりける事なり。(私に云う、堀川院御宸筆の神楽譜、多近方に給いて、今多朝臣久時、同じく子久泰まで所持し畢んぬ。)
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『新論』國體上舜終を受くれば則ち類禋望徧し、巡狩すれば則ち柴望し、帰れば則ち芸祖に特を用ふ。謨を陳ぶれば則ち曰く、「祖考来格す」と。水土を治むれば則ち九山刊旅す。盤庚の都を遷すには則ち曰く、「大いに先王に享す、爾の祖其れ従ひて与に享く」と。紂を諫むるには則ち曰く、「天胤の典祀」と。(旧胤を以て句と為す、今改めて祀を以て句と為す。)微子は則ち曰く、「神祇の犠牲を攘竊す」と。紂を伐つには則ち曰く、「祭は益無しと謂ふ」と、曰く「肆祀を昏棄して答へず」と。洪範には則ち曰く、「三に曰く祀」と。自ら禱るには則ち曰く、「能く鬼神に事ふ」と。康叔に誥ぐるには則ち曰く、「祀に茲の酒」と。新邑を営むには則ち牲を郊社に用ゐ、殷礼を称し、功宗を記し、文武に禋蒸す。多士に告ぐるには則ち曰く、「徳を明かにし祀を恤ふ」と。召公に告ぐるには則ち曰く、「殷礼陟りて天に配す」と。多方に告ぐるには則ち曰く、「寅んで祀を念ふ」と、曰く「神天を典る」と。顧命には則ち之を廟に受く。尚書の篇篇、祀を慎む所以に非ざるは無きこと是くの如きなり。
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