新語 / 思務
昔舜、禹因盛而治世,孔子承衰而作功,聖人不空出,賢者不虛生,□□□□□□而歸於善,斯乃天地之法而制其事,則世之便而設其義。故聖人不必同道,□□□□□□,好者不必同色而皆美,醜者不必同狀而皆惡,天地之數,斯命之象也。日□□□□□□□□八宿並列,各有所主,萬端異路,千法異形,聖人因其勢而調之,使小大不得相踰,方圓不得相干,分之以度,紀之以節,星不晝見,日不夜照,雷不冬發,霜不夏降。臣不凌君,則陰不□□陽,盛夏不暑,隆冬不霜,黑氣苞日,彗星揚光,虹蜺冬見,蟄蟲夏藏,熒惑亂宿,眾星失行。聖人因變而立功,由異而致太平,堯、舜承蚩尤之失,而思欽明之道,君子見惡於外,則知變於內矣。
新字:昔舜、禹因盛而治世,孔子承衰而作功,聖人不空出,賢者不虚生,□□□□□□而帰於善,斯乃天地之法而制其事,則世之便而設其義。故聖人不必同道,□□□□□□,好者不必同色而皆美,醜者不必同状而皆悪,天地之数,斯命之象也。日□□□□□□□□八宿並列,各有所主,万端異路,千法異形,聖人因其勢而調之,使小大不得相踰,方円不得相干,分之以度,紀之以節,星不昼見,日不夜照,雷不冬発,霜不夏降。臣不凌君,則陰不□□陽,盛夏不暑,隆冬不霜,黒気苞日,彗星揚光,虹蜺冬見,蟄虫夏蔵,熒惑乱宿,衆星失行。聖人因変而立功,由異而致太平,堯、舜承蚩尤之失,而思欽明之道,君子見悪於外,則知変於内矣。
書き下し
昔、舜・禹は盛に因りて世を治め、孔子は衰を承けて功を作す。聖人は空しく出でず、賢者は虚しく生まれず、□□□□□□して善に帰す。斯れ乃ち天地の法にして其の事を制し、世の便にして其の義を設くるなり。故に聖人は必ずしも道を同じくせず、□□□□□□、好き者は必ずしも色を同じくせずして皆な美なり、醜き者は必ずしも状を同じくせずして皆な悪し。天地の数は、斯れ命の象なり。日□□□□□□□□八宿並び列び、各おの主る所有り、万端路を異にし、千法形を異にす。聖人は其の勢に因りて之を調え、小大をして相い踰ゆるを得ざらしめ、方円をして相い干すを得ざらしめ、之を分かつに度を以てし、之を紀するに節を以てす。星は昼に見われず、日は夜に照らさず、雷は冬に発せず、霜は夏に降らず。臣の君を凌がざれば、則ち陰は□□陽せず。盛夏に暑からず、隆冬に霜ふらず、黒気日を苞み、彗星光を揚げ、虹蜺冬に見われ、蟄蟲夏に藏れ、熒惑宿を乱し、衆星行を失う。聖人は変に因りて功を立て、異に由りて太平を致す。堯・舜は蚩尤の失を承けて、欽明の道を思い、君子は悪を外に見れば、則ち変を内に知るなり。
現代語訳
昔、舜と禹は栄えた世に乗って世を治め、孔子は衰えた世を受けて功を立てました。聖人は理由もなく現れず、賢者もむなしく生まれず、(欠字)して善に帰します。これは天地の法に従って事を定め、世の便宜に合わせて義を設けたものです。だから聖人は必ずしも同じ道を行かず、(欠字)、美しい者は必ずしも同じ姿ではなくてもみな美しく、醜い者は必ずしも同じ形ではなくてもみな醜いのです。天地の数は、命のしるしです。日(欠字)八宿が並び連なり、それぞれつかさどる所があり、万の端が道を異にし、千の法が形を異にしています。聖人はその勢いに従って調え、小さいものと大きいものが越え合わないようにし、方と円が干渉し合わないようにし、度で分け、節で記します。星は昼に現れず、日は夜に照らさず、雷は冬に鳴らず、霜は夏に降りません。臣が君を凌がなければ、陰は(欠字)陽を(欠字)しません。盛夏に暑くなく、真冬に霜が降りず、黒い気が太陽を包み、彗星が光を揚げ、虹が冬に現れ、冬眠の虫が夏に隠れ、熒惑が宿を乱し、多くの星が運行を失うこともあります。聖人は変に従って功を立て、異変によって太平を致します。堯と舜は蚩尤の失敗を受けて、欽み明らかな道を思い、君子は悪を外に見れば、変の兆しを内に知るのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公七年 普天の下、王土に非ざる莫し七年春、王の正月、齊と平らぐ。齊之を求むるなり。癸巳、齊侯虢に次る。燕人成を行ひて曰く、「敝邑罪を知る、敢へて命を聽かざらんや。先君の敝器もて、請ふ以て罪を謝せん」と。公孫皙曰く、「服を受けて退き、釁を俟ちて動くは、可なり」と。二月、戊午、濡上に盟ふ。燕人燕姬を歸(とつ)がしめ、賂ふに瑤罋・玉櫝・斝耳を以てす。克たずして還る。楚子の令尹為るや、王の旌を為りて以て田す。芋尹無宇之を斷ちて曰く、「一國に兩君あらば、其れ誰か之に堪へん」と。即位するに及び、章華の宮を為り、亡人を納れて以て之を實たす。無宇の閽焉に入る。無宇之を執ふ。有司與へずして曰く、「人を王宮に執ふ、其の罪大なり」と。執へて諸を王に謁す。王將に酒を飲まんとす。無宇辭して曰く、「天子は經略し、諸侯は封を正す、古の制なり。封略の内、何か君の土に非ざる。土の毛を食む、誰か君の臣に非ざる。故に詩に曰く、『普天の下、王土に非ざる莫く、率土の濱、王臣に非ざる莫し』と。
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史記 高祖本紀高祖長く雒陽に都せんと欲す、斉人劉敬説き、乃ち留侯上に勧めて関中に入り都せしむ、高祖是の日駕して、入りて関中に都す。六月、天下に大赦す。十月、燕王臧荼反し、代の地を攻め下す。高祖自ら将として之を撃ち、燕王臧荼を得たり。即ち太尉盧綰を立てて燕王と為す。丞相噲をして兵を将ゐて代を攻めしむ。其の秋、利幾反す、高祖自ら兵を将ゐて之を撃つ、利幾走る。利幾は、項氏の将なり。項氏敗れ、利幾陳公為り、項羽に随はず、亡げて高祖に降る、高祖之を潁川に侯とす。高祖雒陽に至り、通侯の籍を挙げて之を召す、而して利幾恐る、故に反す。六年、高祖五日に一たび太公に朝す、家人の父子の礼の如くす。太公の家令太公に説きて曰く、「天に二日無く、土に二王無し。今高祖子なりと雖も、人主なり。太公父なりと雖も、人臣なり。柰何ぞ人主をして人臣を拝せしめん。此くの如くならば、則ち威重行はれず。」と。後に高祖朝す、太公篲(ほうき)を擁し、門に迎へて卻行す。高祖大いに驚き、下りて太公を扶く。太公曰く、「帝は、人主なり、柰何ぞ我を以て天下の法を乱さん。」と。是に於て高祖乃ち太公を尊びて太上皇と為す。心に家令の言を善しとし、金五百斤を賜ふ。十二月、人変事を上りて楚王信の謀反を告ぐる有り、上左右に問ふ、左右争ひて之を撃たんと欲す。陳平の計を用ゐ、乃ち偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会す、楚王信迎ふ、即ち因りて之を執ふ。是の日、天下に大赦す。田肯賀し、因りて高祖に説きて曰く、「陛下韓信を得、又秦中を治む。秦は、形勝の国なり、河山の険を帯び、県隔すること千里、戟を持つもの百万、秦百に二を得たり。地勢便利にして、其の以て兵を諸侯に下すこと、譬へば猶ほ高屋の上に居りて瓴水を建(くつがへ)すがごときなり。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に泰山の固有り、西に濁河の限有り、北に勃海の利有り。
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人物志・流業是を主道得られて臣道序すと謂い、官方を易えずして、太平用て成る。
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説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
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