新語 / 明誡
君明於德,可以及於遠;臣篤於義,可以至於大。何以言之?昔湯以七十里之封,升帝王之位;周公自立三公之官,比德於五帝三王;斯乃口出善言,身行善道之所致也。故安危之要,吉凶之符,一出於身;存亡之道,成敗之事,一起於善行;堯、舜不易日月而興,桀、紂不易星辰而亡,天道不改而人道易也。夫持天地之政,操四海之綱,屈申不可以失法,動作不可以離度,謬誤出口,則亂及萬里之外,何況刑無罪於獄,而誅無辜於市乎?
新字:君明於徳,可以及於遠;臣篤於義,可以至於大。何以言之?昔湯以七十里之封,升帝王之位;周公自立三公之官,比徳於五帝三王;斯乃口出善言,身行善道之所致也。故安危之要,吉凶之符,一出於身;存亡之道,成敗之事,一起於善行;堯、舜不易日月而興,桀、紂不易星辰而亡,天道不改而人道易也。夫持天地之政,操四海之綱,屈申不可以失法,動作不可以離度,謬誤出口,則乱及万里之外,何況刑無罪於獄,而誅無辜於市乎?
書き下し
君は徳に明らかなれば、以て遠きに及ぶ可く、臣は義に篤ければ、以て大に至る可し。何を以て之を言う。昔、湯は七十里の封を以て、帝王の位に升り、周公は自ら三公の官を立て、徳を五帝三王に比ぶ。斯れ乃ち口に善言を出だし、身に善道を行うの致す所なり。故に安危の要、吉凶の符は、一に身に出で、存亡の道、成敗の事は、一に善行に起こる。堯・舜は日月を易えずして興り、桀・紂は星辰を易えずして亡ぶ。天道は改まらずして人道易わるなり。夫れ天地の政を持し、四海の綱を操るに、屈申は法を失う可からず、動作は度を離る可からず。謬誤口より出づれば、則ち乱は万里の外に及ぶ。何ぞ況んや無罪を獄に刑し、無辜を市に誅するをや。
現代語訳
君主が徳に明らかであれば、その影響は遠くまで及び、臣下が義に篤ければ、大きな働きに至ることができます。なぜそう言えるのでしょうか。昔、湯王は七十里四方の領地から帝王の位に昇り、周公はみずから三公の官を立て、その徳は五帝三王に比べられました。これは口に善い言葉を出し、身に善い道を行ったことの結果です。だから安危の要、吉凶の兆しは、すべて自分の身から出て、存亡の道、成敗の事は、すべて善い行いから起こります。堯と舜は日月を変えずに興り、桀と紂は星辰を変えずに亡びました。天の道は変わらず、人の道が変わったのです。天地の政を保ち、四海の綱を操るには、伸び縮みにも法を失ってはならず、動きにも度を離れてはなりません。誤りが口から出れば、乱れは万里の外にまで及びます。ましてや罪のない者を獄で罰し、咎のない者を市で誅するならなおさらです。
解説
この章句が説くこと
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新語・本行治は道徳を以て上と為し、行いは仁義を以て本と為す。故に位に尊くして徳無き者は絀けられ、財に富みて義無き者は刑せられ、賤しくして徳を好む者は尊ばれ、貧しくして義有る者は栄ゆ。段干木は徒歩の士なるも、道を修め徳を行い、魏の文侯は其の閭を過ぎて之に軾せり。夫子の陳・蔡の厄には、豆飯菜羹、以て餒えを接ぐに足らず、二三子の布弊の褞袍、以て寒さを禦ぐに足らず、倥傯屈厄、自ら処ること甚だし。然れども夫子は道に当たり、二三子は義に近く、布衣の士より、上は□天子、下は庶民に斉しくして、其の身を累ねて上を匡すなり。
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『弁名』義「徳義の経」と曰ふ者有り。徳は人を以て之を言ひ、義は事を以て之を言ふ。故に古に是の言有り。「徳の則、義の府」の如きも、亦た徳義を以て対言す。「天の経、地の義なり」と曰ふ者有り。礼を賛するの言なり。経とは、礼の大なる者、能く衆義を持すること、経緯の経の如きを謂ふ。義とは、礼の細なる者、各〻其の宜しきを制するを謂ふ。之を天地と謂ふ所以は、賛辞のみ。
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『弁名』義古は未だ義を以て徳の名と為す者有らず。唯だ周礼の六徳に之有り。蓋し大司馬の材を以て之を言ふなり。大司馬は賞罰・黜陟・軍旅・田猟の事を掌る。而して賞罰黜陟は、義に当たるを以て貴しと為す。軍旅田猟は、皆当を急遽の際に取る。故に先王の義に熟し、変に応じて謬らざる者に非ずんば能はざるのみ。然れども是れ士君子の本業にして、凡そ仕ふる者皆然り。故に它書以て徳と為す者有ること莫きなり。義士と曰ひ、義人と曰ふが如きは、皆其の為す所の義に合ふを以て、遂に其の人を賛して言ふなり。皆一事を以て之を言ふ。其の実は以て徳の名と為すに非ざるなり。
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『呻吟語』内篇・修身・言は嗇夫、義は貪夫君子の言を出だすや、嗇夫の財を用ふるが如し。其の義を見るや、貪夫の利に趨くが如し。
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『十善法語』巻第四・不妄語戒喩ヘハ日月ハ常ニ明ナレトモ。雲霧カ覆ヘハ其光明暫ク現セヌ様ナモノシヤ。現セヌト云テモ日月ノ光明カナク成タトイハレヌ。暫クテモ雲霧カ薄クナレハ。其光ハアラハルルシヤ。通シテ云ハ。一切時一切処一切事物ニ皆其徳具テ有モノシヤ。天ニハ天ノ徳有リ。地ニハ地ノ徳有リ。山ニハ山ノ徳有リ。川ニハ川ノ徳有リ。下器物草木ニ至ルマテ其功用アリ其徳有ルシヤ。鳥獣ニモ麒麟鳳凰神亀神竜等皆其徳有ト云コトシヤ。人ニ生レテ鳥獣器物ニモ及ヌハ。浅マシキコトシヤ。此徳ヲ知ウト思ハハ。先言語ヲ守ヲ要トスヘキシヤ。
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『講孟余話』盡心上 第九章「徳を尊び義を楽しめば、則ち以て囂々たるべし。故に士は窮しても義を失はず、達しても道を離れず。窮しても義を失はず、故に士は己を得。達しても道を離れず、故に民望を失はず。古の人、志を得れば、沢民に加はり、志を得ざれば、身を脩めて世に見はる。窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす」。此の章大いに吾が心を得、因りて繁を厭はず其の全文を挙ぐ。宜しく反覆熟誦すべし。囂々の二字是れ全章の主意なり。尊徳楽義の四字是れ其の工夫なり。尊徳と云ふに両義あり。公孫丑下篇第二章に、「其の徳を尊び道を楽しむこと是くの如くならざれば、与に為すこと有るに足らず」の尊徳は、有徳の人を尊崇することなり。此の本文も夫れにて済むなり。又中庸に「徳性を尊ぶ」と云ふことあり。是れは己れに存する徳性を自ら恭敬奉持するを云ふ。是れ自ら一義なり。然れども徳は一なり。己れに存するを尊ぶ、故に人に在るを尊ぶ。本是れ一貫の事なり。畢竟本文徳の字、固より己の徳と云はず、又人の徳と云はず、唯是れ徳なり。楽義も亦然り。天下の徳義を尊崇し、更に人己を分つことなし。是れ囂々然として自得無欲なる所以なり。
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