弁名 / 義
有曰德義之經者。德以人言之。義以事言之。故古有是言。如德之則。義之府。亦以德義對言。有曰天之經。地之義也。贊禮之言也。經者。謂禮之大者。能持衆義。如經緯之經焉。義者。謂禮之細者。各制其宜焉。所以謂之天地者。贊辭已。
新字:有曰徳義之経者。徳以人言之。義以事言之。故古有是言。如徳之則。義之府。亦以徳義対言。有曰天之経。地之義也。賛礼之言也。経者。謂礼之大者。能持衆義。如経緯之経焉。義者。謂礼之細者。各制其宜焉。所以謂之天地者。賛辞已。
書き下し
「徳義の経」と曰ふ者有り。徳は人を以て之を言ひ、義は事を以て之を言ふ。故に古に是の言有り。「徳の則、義の府」の如きも、亦た徳義を以て対言す。「天の経、地の義なり」と曰ふ者有り。礼を賛するの言なり。経とは、礼の大なる者、能く衆義を持すること、経緯の経の如きを謂ふ。義とは、礼の細なる者、各〻其の宜しきを制するを謂ふ。之を天地と謂ふ所以は、賛辞のみ。
現代語訳
「徳と義の大綱」と言う言葉がある。徳は人について言い、義は事について言う。だから古にこういう言葉がある。「徳の規範、義の倉庫」というのも、徳と義を対にして言ったものである。また「(礼は)天の経、地の義である」という言葉がある。礼をたたえた言葉である。経とは、礼の大きなもので、多くの義を保持することが、織物の縦糸のようであることを言う。義とは、礼の細かなもので、それぞれにふさわしさを定めることを言う。これを天地と言ったのは、たたえる言葉にすぎない。
解説
短い二則で、徳と義、経と義の対の用法を整理する。徳は人に属し、義は事に属する。また『左伝』の「天の経、地の義」は礼の賛辞で、経は礼の大綱が多くの細目を貫く縦糸、義は個々の場面でのふさわしさを定める細目だという。天地の語に形而上の意味を読み込まず、ただの賛辞と見る点に、朱子学的な読みへの警戒がある。組織でも、大方針という縦糸と、場面ごとの細則という横糸の両方があって、はじめて規範が織物として機能する。
この章句が説くこと
義徳礼経古文辞左伝
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