新語 / 本行
治以道德為上,行以仁義為本。故尊於位而無德者絀,富於財而無義者刑,賤而好德者尊,貧而有義者榮。段干木徒步之士,脩道行德,魏文侯過其閭而軾之。夫子陳、蔡之厄,豆飯菜羹,不足以接餒,二三子布弊褞袍,不足以禦寒,倥傯屈厄,自處甚矣;然而夫子當於道,二三子近於義,自布衣之士,上□天子,下齊庶民,而累其身而匡上也。
新字:治以道徳為上,行以仁義為本。故尊於位而無徳者絀,富於財而無義者刑,賤而好徳者尊,貧而有義者栄。段干木徒歩之士,脩道行徳,魏文侯過其閭而軾之。夫子陳、蔡之厄,豆飯菜羹,不足以接餒,二三子布弊褞袍,不足以禦寒,倥傯屈厄,自処甚矣;然而夫子当於道,二三子近於義,自布衣之士,上□天子,下斉庶民,而累其身而匡上也。
書き下し
治は道徳を以て上と為し、行いは仁義を以て本と為す。故に位に尊くして徳無き者は絀けられ、財に富みて義無き者は刑せられ、賤しくして徳を好む者は尊ばれ、貧しくして義有る者は栄ゆ。段干木は徒歩の士なるも、道を修め徳を行い、魏の文侯は其の閭を過ぎて之に軾せり。夫子の陳・蔡の厄には、豆飯菜羹、以て餒えを接ぐに足らず、二三子の布弊の褞袍、以て寒さを禦ぐに足らず、倥傯屈厄、自ら処ること甚だし。然れども夫子は道に当たり、二三子は義に近く、布衣の士より、上は□天子、下は庶民に斉しくして、其の身を累ねて上を匡すなり。
現代語訳
治めるには道徳を最上とし、行いは仁義を根本とします。だから高い位にあって徳のない者は退けられ、財に富んで義のない者は罰せられ、身分が低くても徳を好む者は尊ばれ、貧しくても義のある者は栄えます。段干木はただの徒歩の士でしたが、道を修め徳を行ったので、魏の文侯は彼の里門の前を通るとき、車の横木に手をついて敬礼しました。孔子が陳と蔡で苦境にあったとき、豆の飯と菜の汁では飢えをしのぐに足りず、弟子たちのぼろの綿入れでは寒さを防ぐに足りず、慌ただしく窮して、その境遇はひどいものでした。しかし孔子は道に適い、弟子たちは義に近く、庶民の身から、上は(欠字)天子、下は庶民と並んで、自分の身を重ねて上を正したのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』義「徳義の経」と曰ふ者有り。徳は人を以て之を言ひ、義は事を以て之を言ふ。故に古に是の言有り。「徳の則、義の府」の如きも、亦た徳義を以て対言す。「天の経、地の義なり」と曰ふ者有り。礼を賛するの言なり。経とは、礼の大なる者、能く衆義を持すること、経緯の経の如きを謂ふ。義とは、礼の細なる者、各〻其の宜しきを制するを謂ふ。之を天地と謂ふ所以は、賛辞のみ。
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『弁名』義古は未だ義を以て徳の名と為す者有らず。唯だ周礼の六徳に之有り。蓋し大司馬の材を以て之を言ふなり。大司馬は賞罰・黜陟・軍旅・田猟の事を掌る。而して賞罰黜陟は、義に当たるを以て貴しと為す。軍旅田猟は、皆当を急遽の際に取る。故に先王の義に熟し、変に応じて謬らざる者に非ずんば能はざるのみ。然れども是れ士君子の本業にして、凡そ仕ふる者皆然り。故に它書以て徳と為す者有ること莫きなり。義士と曰ひ、義人と曰ふが如きは、皆其の為す所の義に合ふを以て、遂に其の人を賛して言ふなり。皆一事を以て之を言ふ。其の実は以て徳の名と為すに非ざるなり。
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『講孟余話』盡心上 第九章「徳を尊び義を楽しめば、則ち以て囂々たるべし。故に士は窮しても義を失はず、達しても道を離れず。窮しても義を失はず、故に士は己を得。達しても道を離れず、故に民望を失はず。古の人、志を得れば、沢民に加はり、志を得ざれば、身を脩めて世に見はる。窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす」。此の章大いに吾が心を得、因りて繁を厭はず其の全文を挙ぐ。宜しく反覆熟誦すべし。囂々の二字是れ全章の主意なり。尊徳楽義の四字是れ其の工夫なり。尊徳と云ふに両義あり。公孫丑下篇第二章に、「其の徳を尊び道を楽しむこと是くの如くならざれば、与に為すこと有るに足らず」の尊徳は、有徳の人を尊崇することなり。此の本文も夫れにて済むなり。又中庸に「徳性を尊ぶ」と云ふことあり。是れは己れに存する徳性を自ら恭敬奉持するを云ふ。是れ自ら一義なり。然れども徳は一なり。己れに存するを尊ぶ、故に人に在るを尊ぶ。本是れ一貫の事なり。畢竟本文徳の字、固より己の徳と云はず、又人の徳と云はず、唯是れ徳なり。楽義も亦然り。天下の徳義を尊崇し、更に人己を分つことなし。是れ囂々然として自得無欲なる所以なり。
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新語・明誡君は徳に明らかなれば、以て遠きに及ぶ可く、臣は義に篤ければ、以て大に至る可し。何を以て之を言う。昔、湯は七十里の封を以て、帝王の位に升り、周公は自ら三公の官を立て、徳を五帝三王に比ぶ。斯れ乃ち口に善言を出だし、身に善道を行うの致す所なり。故に安危の要、吉凶の符は、一に身に出で、存亡の道、成敗の事は、一に善行に起こる。堯・舜は日月を易えずして興り、桀・紂は星辰を易えずして亡ぶ。天道は改まらずして人道易わるなり。夫れ天地の政を持し、四海の綱を操るに、屈申は法を失う可からず、動作は度を離る可からず。謬誤口より出づれば、則ち乱は万里の外に及ぶ。何ぞ況んや無罪を獄に刑し、無辜を市に誅するをや。
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『童子問』卷上問ふ、忠信は固より美徳たり。然れども信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊なり。則ち又未だ必ずしも蔽無からず。曰く、然り。語に曰く、「信、義に近ければ、言復むべし」と。孟子曰く、「大人は、言必ずしも信ならず、行ひ必ずしも果ならず、唯義の在る所のままにす」と。蓋し徒に信を好みて義に合はざれば、必ず道を害す。然れども十分に通徹し、必ず忠に必ず信にして、而る後に以て此の言を為すべし。若し内に忠信を尽くさず、少しの疎漏有れば、則ち先づ義を併せて之を失ふ。何の学問か之有らん。蓋し物に接するの間、欺かず詐らず、十分真実にして、堅く執りて回らざる、忠信の謂なり。千変万化、機に臨みて宜しきを制し、取捨失はざる、義の功なり。忠信は万事の根本、義は学問の大用なり。故に学者は当に忠信を以て基と為して、義以て之を制すべし。故に曰く、「忠信を主とし義に従ふは、徳を崇くするなり」と。夫子も亦嘗て曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。忠信は固より美徳たり、然れども学びて以て之を成さざれば、則ち善と為すに足らざるを言ふなり。此れ亦学者の当に慮りを弾くすべき所なり。
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『武士道』第三章 正義・赤穂四十七士に義の一字を冠す『人、鶏犬を放つ有れば、則ち之を求むるを知る。放心有れども求むるを知らず』と。吾人はここに、孟子の世を去る遠く、国を異にして生れ、『我は義の道なり、我によりて失はれたるものは見出さるべし』と説きたる大教師基督の譬喩の『鏡を以て見るごとく見ること昏然なる』面影を認め得べきに非ずや。ああ、されど予は岐論に馳せたり。唯だ云はん、孟子の所謂義とは、即ち人の失ひたる楽園を恢復すべき、直くして且つ狭き道なりと。封建の季世、武士は長時の泰平に馴れて、安逸遊惰の生活を楽しみ、従つて放肆懦弱に流れ、風流文雅に淫したりと雖、此時に当りて、なお義士たるの称は、学術技芸に長ずるの名に優ること遠しとしたり。されば赤穂四十七士に冠するに、義の一字を以てして、士は之を欽慕し、其芳烈美名は、徳教を維持するに、著大の効を有するに至れり。
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