省諐録 / 第33条
同力度德。同德量義。雖稱文王之美。亦不過云大國畏其力。小國懷其德。無其力而能保其國者。自古至今。吾未之見也。誰謂王者不尙力耶。
新字:同力度徳。同徳量義。雖称文王之美。亦不過云大国畏其力。小国懐其徳。無其力而能保其国者。自古至今。吾未之見也。誰謂王者不尚力耶。
書き下し
力を同じくすれば德を度り、德を同じくすれば義を量る。文王の美を稱すと雖も、亦大國は其の力を畏れ、小國は其の德に懷くと云ふに過ぎず。其の力無くして能く其の國を保つ者は、古より今に至るまで、吾未だ之を見ず。誰か王者は力を尙ばずと謂ふや。
現代語訳
力が同じならば徳を比べ、徳が同じならば義を量る、といいます。文王の美を称えるといっても、大国はその力を畏れ、小国はその徳に懐いた、というにとどまります。力がなくて、よく自分の国を保てた者を、古より今に至るまで私は見たことがありません。いったい誰が、王者は力を尊ばないなどと言うのでしょうか。
解説
力が同じなら徳を比べ、徳も同じなら義を量る、という順序を出発点に、文王の美徳の評判を、大国は力を畏れ小国は徳になつくというにとどまると読み替えます。力なくして国を保てた例は見たことがないとし、王者といえども力を尊ばないはずがないと結びます。徳治を高く掲げる通念に対し、まず実力という前提を突きつける議論です。現代の組織でも、理念や人柄が大切だと言うだけでは、事業は守れません。資金、技術、顧客といった実力が土台にあって、そのうえに徳や義が働くという順序を、管理職は忘れてはならないでしょう。
この章句が説くこと
力徳義王者実力省諐録
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