新語 / 本行
及閔周室之衰微,禮義之不行也,厄挫頓仆,歷說諸侯,欲匡帝王之道,反天下之政,身無其立,而世無其主,周流天下,無所合意,大道隱而不舒,羽翼摧而不申,自□□□深授其化,以序終始,追治去事,以正來世,按紀圖錄,以知性命,表定六藝,以重儒術,善惡不相干,貴賤不相侮,強弱不相凌,賢與不肖不得相踰,科第相序,為萬□□□而不絕,功傳而不衰,詩、書、禮、樂,為得其所,乃天道之所立,大義之所行也,豈以□□□威耶?
新字:及閔周室之衰微,礼義之不行也,厄挫頓仆,歴説諸侯,欲匡帝王之道,反天下之政,身無其立,而世無其主,周流天下,無所合意,大道隠而不舒,羽翼摧而不申,自□□□深授其化,以序終始,追治去事,以正来世,按紀図録,以知性命,表定六芸,以重儒術,善悪不相干,貴賤不相侮,強弱不相凌,賢与不肖不得相踰,科第相序,為万□□□而不絶,功伝而不衰,詩、書、礼、楽,為得其所,乃天道之所立,大義之所行也,豈以□□□威耶?
書き下し
周室の衰微し、礼義の行われざるを閔れむに及び、厄挫頓仆しながら、諸侯に歴説し、帝王の道を匡し、天下の政を反さんと欲す。身に其の立つこと無く、世に其の主無く、天下を周流して、意に合する所無し。大道隠れて舒びず、羽翼摧けて申びず。自ら□□□深く其の化を授け、以て終始を序し、去事を追治し、以て来世を正す。紀図録を按じ、以て性命を知り、六芸を表定し、以て儒術を重んず。善悪は相い干さず、貴賤は相い侮らず、強弱は相い凌がず、賢と不肖とは相い踰ゆるを得ず、科第相い序し、万□□□を為して絶えず、功は伝わりて衰えず。詩・書・礼・楽、其の所を得たるは、乃ち天道の立つ所、大義の行わるる所なり。豈に□□□威を以てせんや。
現代語訳
周王室が衰えて礼義が行われなくなったことを憂えて、挫折し倒れながらも諸侯を巡って説き、帝王の道を正し、天下の政を改めようとしました。しかし自分の身には立つ場所がなく、世には仕える主君もなく、天下を巡り歩いても意に合う所はありませんでした。大道は隠れて伸びず、翼は折れて広げられません。みずから(欠字)深くその教化を授けて、始めと終わりを順序づけ、過去の事を追って整え、それによって後の世を正しました。記録や図録を調べて人の性と命を知り、六芸を定めて儒術を重んじました。善と悪は互いに犯さず、貴いと賤しいは互いに侮らず、強い者と弱い者は互いに凌がず、賢者と不肖の者は越え合わず、等級が序列を成して、万(欠字)を成して絶えず、功は伝わって衰えませんでした。詩・書・礼・楽がふさわしい位置を得たのは、天の道が立つ所であり、大義が行われる所だからです。どうして(欠字)威によるものでありましょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
-
『留魂録』第九条又鮎沢伊太夫は水藩の士にして堀江と同居す。余に告げて曰く、「今足下の御沙汰も未だ測られず、小子は海外に赴けば、天下の事総て天命に付せんのみ。但し天下の益となるべき事は、同志に托し後輩に残し度きことなり」と。此の言大いに吾が志を得たり。吾の祈念を籠むる所は、同志の士甲斐甲斐しく吾が志を継紹して、尊攘の大功を建てよかしなり。吾死すとも、堀・鮎二子の如きは、海外に在りとも獄中に在りとも、吾が同志たらん者願はくは交を結べかし。又本所亀沢町に山口三輶と云ふ医者あり、義を好む人と見えて、堀・鮎二子の事など外間に在りて大いに周旋せり。尤も及ぶべからざるは、未だ一面もなき小林民部の事、二子より申し遣はしたれば、小林の為めにも亦大いに周旋せり。此の人想ふに不凡ならん。且つ三子への通路は此の三輶老に托すべし。
-
『武士道』第十六章 武士道の命脈・七百年に蓄積したる動量其メーソニック・サイン明亮なることは、個々の間、暗号を有せずしてなお能く直ちに感通するを得るに足るものあり、となす。武士道の我国民、特に士林に印象したる性格は、之を以て種属の具有する不変の要素を形成するものなりと称するを得ずと雖、なお之れが活力を保有せることは、復た疑を容れず。武士道もしただ物理力に過ぎずとすとも、なお既往七百年の間に蓄積したる動量は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道はただ遺伝によりてのみ継承したりとすとも、其感化の範囲はすこぶる広大ならずんばあらず。試みに思へ、仏国経済学者ケソン氏が、仮に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少くも二千万人の血液を伝ふるものなり』と云へるを。
-
『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
-
尚書・伊訓惟れ元祀(げんし)十有二月乙丑、伊尹先王に祠(まつ)り、嗣王を奉じて祗(つつし)みて厥(そ)の祖に見(まみ)えしむ。侯甸(こうでん)の群后咸(みな)在り、百官己を総べて以て冢宰(ちようさい)に聴く。伊尹乃ち明らかに烈祖の成徳を言ひ、以て王を訓(をし)へて曰く、「嗚呼(ああ)、古(いにしへ)の有夏の先后、方(まさ)に厥の徳を懋(つと)め、天災有る罔(な)し。山川鬼神も亦寧(やす)からざる莫(な)く、鳥獣魚鼈(ぎよべつ)に暨(およ)ぶまで咸若(したが)ふ。其の子孫に于(お)いて率(したが)はず、皇天災を降し、手を我が命有るものに仮る。攻を造(はじ)むるは鳴条よりし、朕が哉(はじ)めは亳よりす。惟れ我が商王、聖武を布昭し、虐に代ふるに寛を以てし、兆民允(まこと)に懐く。今王厥の徳を嗣ぐは、初めに在らざる罔し。
-
説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る