新語 / 無為
夫王者之都,南面之君,乃百姓之所取法則者也,舉措動作,不可以失法度。昔者,周襄王不能事後母,出居於鄭,而下多叛其親。秦始皇驕奢靡麗,好作高臺榭,廣宮室,則天下豪富制屋宅者,莫不倣之,設房闥,備廄庫,繕雕琢刻畫之好,博玄黃琦瑋之色,以亂制度。齊桓公好婦人之色,妻姑姊妹,而國中多淫於骨肉。楚平王奢侈縱恣,不能制下,檢民以德,增駕百馬而行,欲令天下人饒財富利,明不可及,於是楚國逾奢,君臣無別。故上之化下,猶風之靡草也。王者尚武於朝,則農夫繕甲兵於田。故君子之御下也,民奢應之以儉,驕淫者統之以理;未有上仁而下賊,讓行而爭路者也。故孔子曰:「移風易俗。」豈家令人視之哉?亦取之於身而已矣。
新字:夫王者之都,南面之君,乃百姓之所取法則者也,舉措動作,不可以失法度。昔者,周襄王不能事後母,出居於鄭,而下多叛其親。秦始皇驕奢靡麗,好作高台榭,広宮室,則天下豪富制屋宅者,莫不倣之,設房闥,備廄庫,繕雕琢刻画之好,博玄黄琦瑋之色,以乱制度。斉桓公好婦人之色,妻姑姊妹,而国中多淫於骨肉。楚平王奢侈縦恣,不能制下,検民以徳,增駕百馬而行,欲令天下人饒財富利,明不可及,於是楚国逾奢,君臣無別。故上之化下,猶風之靡草也。王者尚武於朝,則農夫繕甲兵於田。故君子之御下也,民奢応之以倹,驕淫者統之以理;未有上仁而下賊,譲行而争路者也。故孔子曰:「移風易俗。」豈家令人視之哉?亦取之於身而已矣。
書き下し
夫れ王者の都、南面の君は、乃ち百姓の法則を取る所の者なり。挙措動作、法度を失う可からず。昔者、周の襄王は後母に事うる能わず、出でて鄭に居る。而して下は多く其の親に叛く。秦の始皇は驕奢靡麗にして、好んで高台榭を作り、宮室を広くす。則ち天下の豪富の屋宅を制する者、之に倣わざる莫く、房闥を設け、廄庫を備え、雕琢刻画の好みを繕い、玄黄琦瑋の色を博くして、以て制度を乱す。斉の桓公は婦人の色を好み、姑姊妹を妻とし、而して国中骨肉に淫する者多し。楚の平王は奢侈縦恣にして、下を制する能わず、民を検するに徳を以てし、駕を増して百馬にして行き、天下の人をして財を饒かにし利を富ましめんと欲す。明らかに及ぶ可からず。是に於て楚国逾々奢り、君臣別無し。故に上の下を化するは、猶お風の草を靡かすがごとし。王者朝に武を尚べば、則ち農夫は田に甲兵を繕う。故に君子の下を御するや、民の奢には応ずるに倹を以てし、驕淫なる者は統ぶるに理を以てす。未だ上仁にして下賊し、譲り行きて路を争う者有らざるなり。故に孔子曰く、「風を移し俗を易う」と。豈に家ごとに人をして之を視さしめんや。亦之を身に取るのみ。
現代語訳
王者の都にいて南面する君は、民があるべき法則として取るものです。ですから立ち居振る舞いは、法度を失ってはなりません。昔、周の襄王は継母に仕えることができず、出て鄭に居ました。すると臣下の多くが自分の親に背くようになりました。秦の始皇は驕り奢って華美を好み、高い台や楼閣を作り宮室を広げました。すると天下の豪族や富者で屋敷を造る者は、それに倣わない者がなく、奥の間を設け、厩や倉を備え、彫刻や絵の好みを整え、黒や黄の珍しい色を広く使って、制度を乱しました。斉の桓公は女色を好み、姑や姉妹まで妻としたので、国中に肉親と淫する者が多くなりました。楚の平王は奢り放埒で、下を抑えることができず、民を徳で取り締まると言いながら、車に馬百頭を加えて外出し、天下の人々に財を豊かにし利を増やさせようとしました。しかし及ぶべくもないことは明らかでした。こうして楚の国はいよいよ奢り、君臣の区別もなくなりました。上が下を感化するのは、風が草をなびかせるようなものです。王者が朝廷で武を尚べば、農夫は田畑で武具を整えます。だから君子が下を御するときは、民の奢りには倹約で応じ、驕りや淫らさには道理で整えます。上が仁であって下が害をなし、譲り合って道を行きながら争う者がいたためしはありません。だから孔子は「風を移し俗を易える」と言いました。家ごとに人を遣わして見せるでしょうか。ただ身に取ればよいのです。
解説
この章句が説くこと
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