不動智神妙録 / 諫言 其四 身を正す
就中御賢息御行跡の事、親の身正しからずして、子の惡しきを責むること逆なり、先づ貴殿の御身を正しく成され、其上にて御異見も成され候はゞ、自ら正しくなり御舍弟內膳殿も兄の行跡にならひ正しかるべければ、父子ともに善人となり、目出度かるべし、
新字:就中御賢息御行跡の事、親の身正しからずして、子の悪しきを責むること逆なり、先づ貴殿の御身を正しく成され、其上にて御異見も成され候はゞ、自ら正しくなり御舎弟内膳殿も兄の行跡にならひ正しかるべければ、父子ともに善人となり、目出度かるべし、
書き下し
就中御賢息御行跡の事、親の身正しからずして、子の悪しきを責むること逆なり、先づ貴殿の御身を正しく成され、其上にて御異見も成され候はゞ、自ら正しくなり御舎弟内膳殿も兄の行跡にならひ正しかるべければ、父子ともに善人となり、目出度かるべし、
現代語訳
とりわけ、ご子息のお振る舞いのことですが、親の身が正しくなくて子の悪いところを責めるのは、順序が逆です。まずあなたご自身の身を正しくなされ、そのうえでご意見もなさるならば、ご子息もおのずから正しくなり、弟の内膳殿も兄の振る舞いにならって正しくなるでしょうから、父子ともに善い人となって、めでたいことでしょう。
解説
沢庵の諫言は、宗矩の家庭のことにまで及ぶ。子の行いを責める前に、まず親である自分の身を正せ、それが順序だ、と。親が正しければ、子もおのずから正しくなり、弟もその兄に倣う。子育てだけでなく、部下の指導でもそのまま通じる教えである。部下の問題を指摘する前に、自分がその手本になっているか。人を変えようとするとき、まず自分の姿勢を問い直すことの大切さを、身近な家庭の話で伝えている。
この章句が説くこと
率先垂範子育て指導修身手本家庭
関連する章句
-
『正法眼蔵随聞記』巻一先師天童浄和尚住持のとき、僧堂にて衆僧坐禅の時、眠りを誠しむるに履を以て打ち、謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるゝを喜び讃嘆しき、有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、今は衆を辞し、菴に住して、老を扶けて居るべけれども、衆の知識として、各の迷を破り道を授けんがために住持人たり、是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、竹箆打擲等のことを行ず、是頗る怖れあり、然あれども仏に代て化儀を揚る式なり、諸兄弟慈悲を以て是を許し給へと言へば、衆僧皆流涕しき、
-
『夜船閑話』序云く、師鵠林に住すること大凡四十年、鉢囊を掛けしより以来、雲水参玄の布衲纔かに門閫に跨れば、師の毒涎を甘なひ痛棒を滋として辞し去ることを忘るゝ者或は十年或は二十年、鵠林々下の塵と成る事も亦総に顧みざる底あり。尽く是叢林の頭角、四方の精英なり。
-
論語・為政篇季康子問う、民をして敬忠以て勧むるには、之を如何せん。子曰く、「之に臨むに荘を以てすれば、則ち敬す。孝慈なれば、則ち忠。善を挙げて不能を教うれば、則ち勧む。」
-
うひ山ぶみ・第十六段さてまづ上の件のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、学びやうの法も、かならず云々してよろしとは、定めがたく、又定めざれども、実はくるしからぬことなれば、たゞ心にまかすべきわざなれども、さやうにばかりいひては、初心の輩は、取リつきどころなくして、おのづから倦おこたるはしともなることなれば、やむことをえず、今宣長が、かくもやあるべからんと思ひとれるところを、一わたりいふべき也、
-
『後世への最大遺物』第一回・クロムウェルが遺した国今日の英国はえらい国である、今日のアメリカの共和国はえらい国であると申しますが、それは何から始まったかと、たびたび考えてみる。それで私は尊敬する人について少しく偏するかも知れませぬが、もし偏しておったならばそのようにご裁判を願います。けれども私の考えまするには、今日のイギリスの大なるわけは、イギリスにピューリタンという党派が起ったからであると思います。アメリカに今日のような共和国の起ったわけは何であるか、イギリスにピューリタンという党派が起ったゆえである。しかしながら、この世にピューリタンが大事業を遺したといい、遺しつつあるというは何のわけであるかというと、何でもない、このなかにピューリタンの大将がいたからである。
-
『後世への最大遺物』第一回・旗を挙げようという念が消えたそこで、そのときの心持ちは、なるほどそのなかに一種の喜びがなかったではございませぬけれども、以前の心持ちとは正反対の心持ちでありました。そうして、この世の中に事業をしよう、この世の中に一つ旗を挙げよう、この世の中に立って男らしい生涯を送ろう、という念がなくなってしまいました。ほとんどなくなってしまいましたから、私はいわゆる坊主臭い因循的の考えになってきました。それでまた、私ばかりでなく、私を教えてくれる人がそうでありました。たびたび……ここには宣教師はおりませぬから、少しは宣教師の悪口をいっても許してくださるかと思いまするが……宣教師のところに往って私の希望を話しますると、「あなたはそんな希望を持ってはいけませぬ、そのようなことはそれは欲心でございます、それはあなたのまだキリスト教に感化されないところの心から起ってくるのです」というようなことを聞かされないではなかった。