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臣軌 / 卷上 匡諫章

夫諫者,所以匡君於正也。《易》曰:“王臣蹇蹇,匪躬之故。”人臣之所以蹇蹇為難。而諫其君者,非為身也,將欲以除君之過,矯君之失也。君有過失而不諫者,忠臣不忍為也。《春秋》傳曰:齊景公坐於遄台,梁丘據馳而造焉。公曰:“唯據與我和夫!”晏子曰:“據亦同也,焉得為和?”公曰:“和與同異乎?”

新字:夫諫者,所以匡君於正也。《易》曰:“王臣蹇蹇,匪躬之故。”人臣之所以蹇蹇為難。而諫其君者,非為身也,将欲以除君之過,矯君之失也。君有過失而不諫者,忠臣不忍為也。《春秋》伝曰:斉景公坐於遄台,梁丘拠馳而造焉。公曰:“唯拠与我和夫!”晏子曰:“拠亦同也,焉得為和?”公曰:“和与同異乎?”

書き下し

夫れ諫なる者は、君を正に匡す所以なり。『易』に曰く、「王臣蹇蹇たり、躬の故に匪ず」と。人臣の蹇蹇たるを以て難しと為す所以なり。而して其の君を諫むる者は、身の為に非ざるなり、将に以て君の過ちを除き、君の失を矯めんと欲するなり。君に過失有りて諫めざる者は、忠臣の為すに忍びざるなり。『春秋』伝に曰く、斉の景公、遄台に坐す。梁丘拠、馳せて造る。公曰く、「唯だ拠のみ我と和するかな」と。晏子曰く、「拠も亦た同なり。焉んぞ和と為すを得ん」と。公曰く、「和と同とは異なるか」と。

現代語訳

諫めるとは、君を正しい道に引き戻すことである。『易経』(蹇卦)に「王の臣が難儀に難儀を重ねるのは、自分の身のためではない」とある。人臣が難儀を重ねてまで尽くすことは難しいとされるゆえんである。君を諫める者は、自分のためにするのではない。君の過ちを取り除き、君の失策を正そうとするのである。君に過失があるのに諫めないことは、忠臣には耐えられない。『春秋左氏伝』にこうある。斉の景公が遄台(せんだい、斉の高台)にいたとき、梁丘拠(りょうきゅうきょ、景公の寵臣)が馬を馳せてやって来た。景公が「私と和しているのは拠だけだなあ」と言うと、晏子(晏嬰、斉の名宰相)は「拠もまた同じているだけだ。どうして和といえようか」と答えた。景公は「和と同とは違うのか」と尋ねた。

解説

匡諫章の書き出しで、諫言とは君を正道に引き戻すことであり、身のためではないと定義する一段である。『易』蹇卦の「王臣蹇蹇、匪躬之故」は、難儀を重ねるのは自分のためではないという意味で、注は王弼の解釈を引いて、難局でも私身を守らず王室を正そうとする臣の姿だと説く。続いて『左伝』昭公二十年の、晏子が景公に和と同の違いを説く話の冒頭を引く。君の言うことに何でも合わせる梁丘拠を、景公は自分と和している臣だと喜ぶが、晏子はそれは同じているだけだと切り返す。和とは異なる味を合わせて一つの羹をつくるように、違う意見で君の足りないところを補うことだと、この後に続く。賛成ばかりする部下を和と取り違える危うさは今の組織でも変わらない。

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