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臣軌 / 卷上 匡諫章

對曰:“異。和如羹焉、水、火、醯、醢、鹽、梅、以享魚肉、宰夫和之、齊之以味、濟其不及。”君臣亦然。君所謂可而有否焉、臣獻其否以成其可、君所謂否而有可焉、臣獻其可以去其否、是以政平而人無爭心。故《詩》曰:‘亦有和羹、既戒既平。’今據不然。君所謂可、據亦曰可、君所謂否、據亦曰否。若以水濟水、誰能食之?同之不可也如是。”

新字:対曰:“異。和如羹焉、水、火、醯、醢、塩、梅、以享魚肉、宰夫和之、斉之以味、済其不及。”君臣亦然。君所謂可而有否焉、臣献其否以成其可、君所謂否而有可焉、臣献其可以去其否、是以政平而人無争心。故《詩》曰:‘亦有和羹、既戒既平。’今拠不然。君所謂可、拠亦曰可、君所謂否、拠亦曰否。若以水済水、誰能食之?同之不可也如是。”

書き下し

対えて曰く、異なり。和は羹の如し。水・火・醯・醢・塩・梅、以て魚肉を享る。宰夫これを和し、これを斉うるに味を以てし、その及ばざるを済う。君臣も亦た然り。君の可と謂う所にして否有らば、臣その否を献じて以てその可を成す。君の否と謂う所にして可有らば、臣その可を献じて以てその否を去る。是を以て政平らかにして人に争心無し。故に詩に曰く、「亦た和羹有り、既に戒め既に平らかなり」と。今、據は然らず。君の可と謂う所は、據も亦た可と曰い、君の否と謂う所は、據も亦た否と曰う。もし水を以て水を済わば、誰か能くこれを食らわん。同のべからざるや、かくの如し。

現代語訳

晏子が答えて言った。違います。和とは羹のようなものです。水・火・酢・塩辛・塩・梅を用いて魚肉を煮る。料理人がこれを調和させ、味を整え、足りないところを補う。君臣もまた同じです。君が可と言うことに否があれば、臣はその否を差し出して可を完成させる。君が否と言うことに可があれば、臣はその可を差し出して否を取り除く。だから政は平らかで、人に争う心がない。だから詩経に「和えた羹があり、すでに戒め、すでに平らかである」とある。ところが今の梁丘據は違います。君が可と言えば據も可と言い、君が否と言えば據も否と言う。もし水で水を補うなら、誰がそれを食べられましょう。同がいけないのは、このようなわけです。

解説

斉の景公が「梁丘據だけは私と和している」と言ったのに対し、晏子が「あれは同であって和ではない」と切り返した、春秋左氏伝の名高い問答である。和は羹にたとえられる。水も火も酢も塩も梅も違うものだが、料理人が調え、足りないところを補うから味になる。君臣も同じで、君が可と言うところに否があれば否を差し出し、否と言うところに可があれば可を差し出す。それが和だ、と。一方、同は「水で水を補う」ことで、誰も食べられない。賛成しかしない部下は、和しているのではなく同じているだけである。臣軌がこれを匡諫の章に置いたのは、諫めることこそ和の実質だからだろう。

この章句が説くこと

和と同和は羹の如し水を以て水を済う晏子と梁丘拠

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