新書 / 先醒
天下有賢,而我獨不得,若吾生者,何以食爲?』故莊王戰服大國,義從諸侯,戚然憂恐,聖智在身而自錯不肖,思得賢佐,日中忘飯,可謂明君矣。此之謂『先寤所以存亡』,此先醒者也。昔宋昭公出亡至於境,喟然嘆曰:『嗚呼!吾知所以亡矣!吾被服而立,侍御者數百人,無不曰吾君麗者;吾發政舉事,朝臣千人,無不曰吾君聖者。外內不聞吾過,吾是以至此,吾困宜矣。』於是革心易行,衣苴布,食𧰢餕,晝學道而夕講之。二年,美聞於宋。宋人車徒迎而復位,卒爲賢君,謚爲昭公。既亡矣,而乃寤所以存,此後醒者也。
新字:天下有賢,而我独不得,若吾生者,何以食為?』故荘王戦服大国,義従諸侯,戚然憂恐,聖智在身而自錯不肖,思得賢佐,日中忘飯,可謂明君矣。此之謂『先寤所以存亡』,此先醒者也。昔宋昭公出亡至於境,喟然嘆曰:『嗚呼!吾知所以亡矣!吾被服而立,侍御者数百人,無不曰吾君麗者;吾発政舉事,朝臣千人,無不曰吾君聖者。外内不聞吾過,吾是以至此,吾困宜矣。』於是革心易行,衣苴布,食𧰢餕,昼学道而夕講之。二年,美聞於宋。宋人車徒迎而復位,卒為賢君,謚為昭公。既亡矣,而乃寤所以存,此後醒者也。
書き下し
天下に賢有りて、我独り得ざれば、吾が生くるが若き者は、何を以て食を為さん』と。故に荘王は戦いて大国を服し、義もて諸侯を従え、戚然として憂恐し、聖智身に在りて自ら不肖と錯き、賢佐を得んことを思い、日中にして飯を忘る。明君と謂う可し。此れを之れ『存亡の所以に先ず寤む』と謂う。此れ先醒の者なり。昔宋の昭公出亡して境に至り、喟然として嘆じて曰く、『嗚呼、吾亡ぶる所以を知れり。吾被服して立てば、侍御の者数百人、吾が君は麗しと曰わざる無し。吾政を発し事を挙ぐれば、朝臣千人、吾が君は聖なりと曰わざる無し。外内に吾が過ちを聞かず、吾是を以て此に至る。吾が困しむ宜なり』と。是に於いて心を革め行いを易え、苴布を衣、𧰢餕を食らい、昼に道を学びて夕に之を講ず。二年にして、美聞宋に聞こゆ。宋人車徒もて迎えて位に復し、卒に賢君と為り、謚して昭公と為す。既に亡びて、乃ち存する所以を寤る。此れ後醒の者なり。
現代語訳
天下に賢者がいるのに私一人が得られないなら、私のような者が、何を食べる資格があるだろうか」。こうして荘王は、戦って大国を従え、義によって諸侯を従わせながら、憂え恐れ、聖なる知恵が身にあっても自分を不肖と見なし、賢い補佐を得ようと思って、日が中天でも食事を忘れました。これは明君といえます。これを「存亡の理由に先んじて目覚める」というのです。これが先に醒める者です。昔、宋の昭公は亡命して国境に着くと、ため息をついて言いました。「ああ、私が滅びた理由が分かった。私が衣を着て立てば、お付きの者が数百人いて、私の君は麗しいと言わない者はなかった。私が政令を出し事を行えば、朝廷の臣が千人いて、私の君は聖だと言わない者はなかった。内外のどこからも、私の過ちを聞かなかった。私はそのために、ここに至った。苦しむのも当然だ」。そこで心を改め行いを変え、粗末な麻布を着て、粗末な食事をとり、昼は道を学んで夕方には講じました。二年たつと、その美名が宋に聞こえました。宋の人々は車と従者で迎えて位に復させ、ついに賢君となり、謚を昭公としました。亡んでから、存続する理由に気づきました。これが後で醒める者です。
解説
この章句が説くこと
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