韓非子 / 十過第十
七曰離内遠遊而忽於諫士,則危身之道也。八曰過而不聽於忠臣,而獨行其意,則滅高名爲人笑之始也。
新字:七曰離内遠遊而忽於諫士,則危身之道也。八曰過而不聴於忠臣,而独行其意,則滅高名為人笑之始也。
書き下し
過ちて忠臣に聴かずして、獨り其の意を行うは、則ち高名を滅ぼし、人の笑いと為るの始めなり。
現代語訳
誤って忠臣の言葉を聞かず、独断で自らの意見を実行することは、名声を滅ぼして人々の笑いものになる始まりである。
解説
稀代の名君・斉の桓公でさえ、管仲という「忠臣」の最後の警告(易牙・豎刁・開方の3人を信用するな)を聞き入れず (過ち)、彼らを重用し(獨り其の意を行う)、最終的に餓死させられました。 リーダーが耳の痛い「忠言」(忠臣)を遠ざけ、口当たりの良いことだけを言う「イエスマン」(豎刁ら)を重用すると、組織は必ず破滅に向かうという教訓です。
この章句が説くこと
イエスマン裸の王様諫言心理的安全性トップダウンの弊害人材登用
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