臣軌 / 卷上 守道章
夫道者,覆天載地,高不可際,深不可測。苞裹萬物,稟授無形。舒之覆於六合,卷之不盈一握。小而能大,昧而能明,弱而能強,柔而能剛。
新字:夫道者,覆天載地,高不可際,深不可測。苞裹万物,稟授無形。舒之覆於六合,巻之不盈一握。小而能大,昧而能明,弱而能強,柔而能剛。
書き下し
夫れ道なる者は、天を覆い地を載せ、高くして際む可からず、深くして測る可からず。万物を苞裹し、無形を稟授す。之を舒ぶれば六合を覆い、之を巻けば一握に盈たず。小にして能く大に、昧くして能く明らかに、弱くして能く強く、柔らかにして能く剛し。
現代語訳
道というものは、天を覆い地を載せ、高くてその果てを極めることができず、深くて測ることができない。万物を包み込み、形のないところから万物に形を授ける。広げれば天地四方を覆い、巻けば一握りにも満たない。小さくありながら大きくもなれ、暗く見えながら明るくもなれ、弱く見えながら強くもなれ、柔らかく見えながら剛くもなれる。
解説
守道章の書き出しで、臣下が守るべき「道」とは何かを、道家の言葉づかいで描く一段である。道は天を覆い地を載せ、高さも深さも測れず、広げれば天地を覆い、巻けば一握りにもならない。小と大、暗と明、弱と強、柔と剛という相反するものを自在に行き来するのが道だという。注は「小さくは隙間のないところにも入り、大きくは外がない」と説く。『淮南子』冒頭の原道訓とよく似た表現で、臣下の心得の書にこうした形而上の話が入るのは意外に見える。だが続く段で、この道を身につければ退いても尊敬され、進んでも君を正せると述べるための前置きである。状況に応じて柔にも剛にもなれる柔軟さは、今の仕事でも求められる力である。
関連する章句
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『淮南子』原道訓夫れ道なる者は、天を覆い地を載せ、四方を廓げ、八極を柝き、高きこと際む可からず、深きこと測る可からず、天地を包裹し、無形を稟授す。原流泉浡し、沖にして徐ろに盈ち、混混滑滑として、濁りて徐ろに清む。故に之を植つれば天地に塞がり、之を横たうれば四海に彌り、之を施せば窮まり無くして朝夕する所無し。之を舒ぶれば六合に幎い、之を卷けば一握に盈たず。約にして能く張り、幽にして能く明らかに、弱にして能く強く、柔にして能く剛なり。四維に横たわりて陰陽を含み、宇宙に紘して三光を章らかにす。甚だ淖くして滒く、甚だ纖くして微なり。山は之を以て高く、淵は之を以て深く、獸は之を以て走り、鳥は之を以て飛び、日月は之を以て明らかに、星歷は之を以て行り、麟は之を以て游び、鳳は之を以て翔ぶ。
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『臣軌』卷上 守道章此れを以て退居して閑遊すれば、江海山林の士服し、此れを以て時を佐けて主を匡せば、忠立ち名顕れて身栄ゆ。退けば則ち巣・許の流、進めば則ち伊・望の倫なり。故に道の在る所は、聖人之を尊ぶ。『老子』に曰く、「道は常に無為にして為さざる無し。侯王若し能く之を守らば、万物将に自ら化せんとす」と。「道を以て入主を佐くる者は、兵を以て天下に強いず」と。「夫れ佳兵なる者は、不祥の器なり。故に道有る者は処らず」と。又曰く、「上士は道を聞けば、勤めて之を行う。中士は道を聞けば、存するが若く亡きが若し。下士は道を聞けば、大いに之を笑う。笑わざれば以て道と為すに足らず」と。『荘子』に曰く、「夫れ道を体する者は、天の怨み無く、人の非り無く、物の累い無く、鬼の責め無し。一心定まりて万事得らる」と。『文子』に曰く、
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『臣軌』卷上 守道章それ道なる者は、無為無形なり。内は以て身を修め、外は以て人を理む。故に君臣に道有れば即ち忠恵、父子に道有れば即ち慈孝、士庶に道有れば即ち相い親しむ。故に道有れば即ち和同し、道無ければ即ち離貳す。
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『臣軌』卷上 守道章それ道を知る者は、必ず理に達す。理に達する者は、必ず権に明らかなり。権に明らかなる者は、物を以て己を害せず。言うこころは、安危を察し、禍福に寧んじ、去就を謹めば、これを害する能わざるなり。
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『淮南子』原道訓萬物に生ずる所有るも、獨り其の根を守るを知り、百事に出づる所有るも、獨り其の門を守るを知る。故に無窮を窮め、無極を極め、物を照らして眩まず、響き應じて乏しからず。此れを之れ天解と謂う。故に道を得たる者は志弱くして事強く、心虛しくして應ずること當たる。所謂志弱くして事強しとは、柔毳安靜、敢えてせざるに藏れ、能わざるに行い、恬然として慮る無く、動きて時を失わず、萬物と回周旋轉し、先唱を為さず、感じて之に應ずるなり。是の故に貴き者は必ず賤を以て號と為し、高き者は必ず下を以て基と為す。小に託して以て大を包み、中に在りて以て外を制し、柔を行いて剛く、弱を用いて強く、轉化推移して、一の道を得て、以て少なきを以て多きを正す。所謂其の事強しとは、變に遭い卒に應じ、患を排し難を扞ぎ、力勝たざる無く、敵凌がざる無く、化に應じ時を揆りて、能く之を害する莫きなり。是の故に剛からんと欲する者は必ず柔を以て之を守り、強からんと欲する者は必ず弱を以て之を保つ。柔に積めば則ち剛く、弱に積めば則ち強し。其の積む所を觀て、以て禍福の鄉を知る。強は己に若かざる者に勝ち、己に若く者に至りて同じ。柔は己に出づる者に勝ち、其の力量る可からず。故に兵強ければ則ち滅び、木強ければ則ち折れ、革固ければ則ち裂け、齒は舌より堅くして先に敝る。是の故に柔弱なる者は、生の榦なり。而して堅強なる者は、死の徒なり。先唱する者は、窮の路なり。後動する者は、達の原なり。何を以て其の然るを知るや。凡そ人の中壽は七十歲なり。然れども趨舍指湊、日に以て月に悔い、以て死に至る。故に蘧伯玉年五十にして四十九年の非有り。何となれば、先んずる者は知を為し難く、後るる者は攻を為し易ければなり。先んずる者上高ければ、則ち後るる者之を攀じ、先んずる者下に踰ゆれば、則ち後るる者之を蹶き、先んずる者隤陷すれば、則ち後るる者以て謀り、先んずる者敗績すれば、則ち後るる者之を違く。此に由りて之を觀れば、先んずる者は、則ち後るる者の弓矢の質的なり。猶お錞の刃に與けるがごとし。刃は難を犯して錞は患い無き者は、何ぞや。其の後位に託するを以てなり。此れ俗世庸民の公に見る所にして、賢知者すら避くる能わざるなり。所謂後るる者は、其の底滯して發せず、凝結して流れざるを謂うに非ず。其の數に周くして時に合するを貴ぶなり。
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『臣軌』卷上 守道章是れに由りて之を観れば、道無ければ宜しからざるなり」と。『管子』に曰く、「道なる者は、一人之を用いて余り有るを聞かず、天下之を行いて足らざるを聞かず。所謂道なる者は、小しく焉を取れば則ち小しく福を得、大いに焉を取れば則ち大いに福を得。道なる者は、其の身を正して其の心を清くする所以の者なり。故に道身に在れば、則ち言自ずから順い、行い自ずから正しく、君に事えて自ずから忠、父に事えて自ずから孝なり」と。『淮南子』に曰く、「大道の行わるるは、猶お日月のごとし。江南河北も其の所を易うる能わず、馳騖すること千里なるも其の処を移す能わず。其の趨舎礼俗、通ぜざる所無し。是を以て容成は之を得て軒輔と為り、傅説は之を得て殷相と為る。故に魚を致さんと欲する者は先ず水を通じ、鳥を致さんと欲する者は先ず木を樹え、忠を立てんと欲する者は先ず道を知る」と。又曰く、「古の徳を立つる者は、道を楽しみて賤しきを忘る、故に名も心を動かさず。道を楽しみて貧しきを忘る、故に利も志を動かさず。職繁くして身逾々逸し、官大にして事逾々少なし。静かにして欲無く、淡くして能く閑かなり。此れを以て身を修むれば、乃ち道を知ると謂う可し。道を知らざる者は、其の有る所以を釈てて、其の未だ得ざる所を求む。神は謀に労し、知は事に煩う。福至れば則ち喜び、禍至れば則ち憂う。禍福萌生すれども、終身悟らず、此れ道を知らざるに由るなり」と。『説苑』に曰く、「山其の高きを致して雲雨起こり、水其の深きを致して蛟竜生じ、君子其の道を致して福禄帰す。万物其の本を得れば則ち生じ、百事其の道を得れば則ち成る」と。
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