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臣軌 / 卷上 至忠章

夫純孝者,則能以大義修身,知立行之本。欲尊其親,必先尊於君;欲安其家,必先安於國。故古之忠臣,先其君而後其親,先其國而後其家。何則?君者,親之本也,親非君而不存;國者,家之基也,家非國而不立。”昔楚恭王召令尹而謂之曰:“常侍管蘇,與我處,常勸我以道,正我以義。吾與處不安也,不見不思也。雖然,吾有得也,其功不細,必厚祿之。”乃拜管蘇為上卿。若管蘇者,可謂至忠至正,能以道濟其君者也。

新字:夫純孝者,則能以大義修身,知立行之本。欲尊其親,必先尊於君;欲安其家,必先安於国。故古之忠臣,先其君而後其親,先其国而後其家。何則?君者,親之本也,親非君而不存;国者,家之基也,家非国而不立。”昔楚恭王召令尹而謂之曰:“常侍管蘇,与我処,常勧我以道,正我以義。吾与処不安也,不見不思也。雖然,吾有得也,其功不細,必厚禄之。”乃拝管蘇為上卿。若管蘇者,可謂至忠至正,能以道済其君者也。

書き下し

夫れ純孝なる者は、則ち能く大義を以て身を修め、立行の本を知る。其の親を尊ばんと欲すれば、必ず先ず君を尊び、其の家を安んぜんと欲すれば、必ず先ず国を安んず。故に古の忠臣は、其の君を先にして其の親を後にし、其の国を先にして其の家を後にす。何となれば則ち、君は親の本なり、親は君に非ざれば存せず。国は家の基なり、家は国に非ざれば立たず。昔、楚の恭王、令尹を召して之に謂いて曰く、「常侍の管蘇は、我と処りて、常に我に勧むるに道を以てし、我を正すに義を以てす。吾、与に処りて安からざるも、見ざれば思わず。然りと雖も、吾に得る有り、其の功細ならず、必ず之に厚禄せん」と。乃ち管蘇を拝して上卿と為す。管蘇の若き者は、至忠至正にして、能く道を以て其の君を済う者と謂う可きなり。

現代語訳

まことの孝を備えた者は、大義によって身を修め、行いを立てる根本を知っている。自分の親を尊ぼうと思えば、必ずまず君を尊び、自分の家を安らかにしようと思えば、必ずまず国を安らかにする。だから昔の忠臣は、君を先にして親を後にし、国を先にして家を後にした。なぜか。君は親の根本であり、親も君がいなければ存続できない。国は家の土台であり、家も国がなければ成り立たないからである。昔、楚の恭王(春秋時代の楚の王)が令尹(宰相)を呼んでこう言った。「近侍の管蘇は、私のそばにいて、いつも道によって私を励まし、義によって私を正す。私は彼と一緒にいると落ち着かず、姿が見えなければ思い出しもしない。しかしそれでも、私は彼から得るものがあり、その功は小さくない。必ず厚い禄を与えよう」。そこで管蘇を上卿(最高位の大臣)に任じた。管蘇のような者こそ、至忠至正であり、道によって君を救うことのできる者と言うべきである。

解説

至忠章の結びで、忠と孝の順序を論じ、楚の恭王と管蘇の話で締めくくる一段である。まことの孝は親を大切にするからこそ、その親を支える君と国をまず大切にする。君がいなければ親も存続できず、国がなければ家も立たないからだという。注も、親は君によって存し、家は国によって立つので、君と国を先にすると説く。忠と孝を対立させず、孝の延長に忠を置くのがこの書の考え方である。管蘇の話は、一緒にいると居心地が悪いが得るものが大きい臣を、恭王が厚く遇したというもの。耳の痛いことを言う部下を遠ざけず、むしろ重んじるのは今の組織の長にも求められる度量であり、言う側にとっても、嫌われても道を説く覚悟を教えている。

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