臣軌 / 卷上 守道章
夫知道者、必達於理、達於理者、必明於權、明於權者、不以物害己。言察於安危、寧於禍福、謹於去就、莫之能害也。
新字:夫知道者、必達於理、達於理者、必明於権、明於権者、不以物害己。言察於安危、寧於禍福、謹於去就、莫之能害也。
書き下し
それ道を知る者は、必ず理に達す。理に達する者は、必ず権に明らかなり。権に明らかなる者は、物を以て己を害せず。言うこころは、安危を察し、禍福に寧んじ、去就を謹めば、これを害する能わざるなり。
現代語訳
道を知る者は、必ず理に通じる。理に通じる者は、必ず権——その場に応じた重みの量り方に明るい。権に明るい者は、外の物によって自分を損なわれない。つまり、安危を見定め、禍福に心を平らかにし、進退を慎めば、何ものも自分を害することはできないのである。
解説
道→理→権という三段の階段になっている。道を知れば理に通じ、理に通じれば権が分かる。権とは秤の分銅のことで、その場に応じて重みを量り直す判断力を指す。原則を知るだけでは足りず、場面ごとに量り直せて初めて外に振り回されなくなる、という構図である。そして具体は三つ——安危を見定める、禍福に動じない、進退を慎む。守道章はこの後、老子・荘子・文子・管子・淮南子を次々に引く。臣下の書でありながら道家の言葉が多いのは、身を保つ技術としての道を説いているからである。
この章句が説くこと
守道章道に達し理に達す権に明らか物を以て己を害せず
関連する章句
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『臣軌』卷上 守道章此れを以て退居して閑遊すれば、江海山林の士服し、此れを以て時を佐けて主を匡せば、忠立ち名顕れて身栄ゆ。退けば則ち巣・許の流、進めば則ち伊・望の倫なり。故に道の在る所は、聖人之を尊ぶ。『老子』に曰く、「道は常に無為にして為さざる無し。侯王若し能く之を守らば、万物将に自ら化せんとす」と。「道を以て入主を佐くる者は、兵を以て天下に強いず」と。「夫れ佳兵なる者は、不祥の器なり。故に道有る者は処らず」と。又曰く、「上士は道を聞けば、勤めて之を行う。中士は道を聞けば、存するが若く亡きが若し。下士は道を聞けば、大いに之を笑う。笑わざれば以て道と為すに足らず」と。『荘子』に曰く、「夫れ道を体する者は、天の怨み無く、人の非り無く、物の累い無く、鬼の責め無し。一心定まりて万事得らる」と。『文子』に曰く、
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荀子・解蔽篇何をか衡と謂う。曰く、道なり。故に心は以て道を知らざるべからず。心、道を知らざれば、則ち道を可とせずして、道に非ざるを可とす。人、孰か恣ならんことを得んと欲して、其の可とせざる所を守りて、以て其の可とする所を禁ぜんや。其の道を可とせざるの心を以て人を取らば、則ち必ず道ならざる人に合いて、道ある人に合わず。其の道を可とせざるの心を以て、道ならざる人と道ある人を論ずるは、乱の本なり。夫れ何を以て知る。曰く、心、道を知り、然る後に道を可とす。道を可として然る後に道を守りて以て道に非ざるを禁ず。其の道を可とするの心を以て人を取らば、則ち道ある人に合いて、道ならざるの人に合わず。其の道を可とするの心を以て、道ある人と道に非ざるを論ずるは、治の要なり。何ぞ知らざるを患えんや。故に治の要は道を知るに在り。
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