導師導古典を学びたいすべての人に

詩経 / 大雅・蕩之什・抑二

視爾友君子,輯柔爾顏,不遐有愆。相在爾室,尚不愧于屋漏。無曰不顯,莫予云覯。神之格思,不可度思,矧可射思。 辟爾為德,俾臧俾嘉。淑慎爾止,不愆于儀。不僭不賊,鮮不為則。投我以桃,報之以李。彼童而角,實虹小子。 荏染柔木,言緡之絲。溫溫恭人,維德之基。其維哲人,告之話言。順德之行。其維愚人。覆謂我僭,民各有心。 於乎小子,未知臧否!匪手攜之,言示之事。匪面命之,言提其耳。借曰未知,亦既抱子。民之靡盈,誰夙知而莫成? 昊天孔昭,我生靡樂。視爾夢夢,我心慘慘。誨爾諄諄,聽我藐藐。匪用為教,覆用為虐。借曰未知,亦聿既耄! 於乎小子,告爾舊止,聽用我謀,庶無大悔。天方艱難,曰喪厥國。取譬不遠,昊天不忒。回遹其德,俾民大棘!

新字:視爾友君子,輯柔爾顔,不遐有愆。相在爾室,尚不愧于屋漏。無曰不顕,莫予云覯。神之格思,不可度思,矧可射思。 辟爾為徳,俾臧俾嘉。淑慎爾止,不愆于儀。不僭不賊,鮮不為則。投我以桃,報之以李。彼童而角,実虹小子。 荏染柔木,言緡之糸。温温恭人,維徳之基。其維哲人,告之話言。順徳之行。其維愚人。覆謂我僭,民各有心。 於乎小子,未知臧否!匪手攜之,言示之事。匪面命之,言提其耳。借曰未知,亦既抱子。民之靡盈,誰夙知而莫成? 昊天孔昭,我生靡楽。視爾夢夢,我心惨惨。誨爾諄諄,聴我藐藐。匪用為教,覆用為虐。借曰未知,亦聿既耄! 於乎小子,告爾旧止,聴用我謀,庶無大悔。天方艱難,曰喪厥国。取譬不遠,昊天不忒。回遹其徳,俾民大棘!

書き下し

爾の君子を友とするを視るに、爾の顔を輯柔(しゅうじゅう)にし、遐(なん)ぞ愆(あやま)ち有らざらんとす。爾の室に在るを相(み)るに、尚(こいねが)わくは屋漏(おくろう)に愧じざれ。顕らかならず、予を覯(み)るもの莫しと曰うこと無かれ。神の格(いた)るは、度(はか)るべからず、矧(いわ)んや射(いと)うべけんや。 爾の徳を為すを辟(あきらか)にし、臧(よ)からしめ嘉からしめよ。爾の止(ふるまい)を淑慎し、儀に愆(あやま)たざれ。僭(たが)わず賊(そこな)わざれば、則と為らざること鮮し。我に投ずるに桃を以てすれば、之に報ゆるに李(すもも)を以てす。彼の童(わらべ)にして角あらんとするは、実に小子を虹(みだ)す。 荏染(じんぜん)たる柔木は、言(ここ)に之に絲を緡(つ)く。温温たる恭人は、維れ徳の基(もとい)。其れ維れ哲人は、之に話言を告ぐれば、徳に順いて之れ行う。其れ維れ愚人は、覆(かえ)って我を僭(いつわ)ると謂う、民各々心有り。 於乎(ああ)小子、未だ臧否(ぞうひ)を知らず。手づから之を攜うるのみに匪(あら)ず、言に之に事を示す。面(まのあ)たり之に命ずるのみに匪ず、言に其の耳を提(ひっさ)ぐ。借(たと)い未だ知らずと曰うも、亦既に子を抱く。民の盈(み)つること靡くんば、誰か夙に知りて莫(おそ)く成らん。 昊天孔(はなは)だ昭らかなり、我が生楽しむこと靡し。爾の夢夢(ぼうぼう)たるを視て、我が心慘慘(さんさん)たり。爾に誨(おし)うること諄諄(じゅんじゅん)たるも、我を聴くこと藐藐(ばくばく)たり。用て教えと為すに匪ず、覆って用て虐(たわむれ)と為す。借い未だ知らずと曰うも、亦聿(ここ)に既に耄(お)いたり。 於乎小子、爾に旧止(きゅうし)を告ぐ。我が謀を聴用せば、庶わくは大悔無からん。天方に艱難にして、曰(ここ)に厥の国を喪わんとす。譬えを取ること遠からず、昊天忒(たが)わず。厥の徳を回遹(かいいつ)せば、民をして大いに棘(くる)しましめん。

現代語訳

おまえが君子たちと交わる様子を見ると、顔つきを和らげ穏やかにして、何か過ちはないかと気を配っている。だが、おまえが自分の部屋に一人いるところを見れば、どうか部屋の奥の暗い隅にも恥じることのないようにしてほしい。「ここは人目につかない、わたしを見ている者などいない」と言ってはならない。神がやって来るのは、いつとも測り知れない。まして神をないがしろにしてよいはずがあろうか。 おまえが徳を行うことを明らかにして、立派でよいものにせよ。おまえの振る舞いを善く慎み、礼儀に外れることのないようにせよ。道にたがわず人を損なわなければ、人の手本とならないことはまずない。人が桃を投げて贈ってくれたなら、わたしは李(すもも)を返して報いる。子羊なのに角を生やそうとするようなでたらめは、まことに若い者を惑わすものだ。 しなやかで柔らかい木には、糸を張って弓にすることができる。穏やかで恭しい人は、徳の土台である。賢い人ならば、よい言葉を告げると、徳に従ってそれを行う。だが愚かな人は、かえってわたしがでたらめを言っていると思う。人にはそれぞれ心の持ちようがあるのだ。 ああ、若者よ、おまえはまだ善し悪しをわきまえていない。わたしは手を引いて連れて行っただけではない、実際の事柄を示して教えた。面と向かって言いつけただけではない、耳を引っぱってまで言い聞かせた。まだ分からないと言うかもしれないが、おまえはもう子を抱く年になっている。人が自分に満ち足りたと思わずに学び続けるなら、早くから知りながら遅くまで何も成し遂げない者などいるだろうか。 大いなる天はまことに明らかに見ている、わたしの人生には楽しみがない。おまえがぼんやりしているのを見て、わたしの心は痛み悲しむ。おまえにねんごろに教えても、おまえは上の空で聞いている。教えとして受け取らず、かえって冗談だと思っている。まだ分からないと言うかもしれないが、わたしはもうすっかり老いてしまったのだ。 ああ、若者よ、おまえに昔からの道を告げよう。わたしの謀を聞き入れて用いれば、どうか大きな後悔はしないですむだろう。天はいま艱難を下し、国を失わせようとしている。たとえを取るには遠くを探すまでもない、大いなる天は決して誤らない。その徳をゆがめれば、民をひどく苦しめることになるのだ。

解説

「抑」の後半である。ここでは言葉の戒めから、ひとりでいるときの心がけ、教えを受ける姿勢へと話が進む。「爾の室に在るを相るに、尚わくは屋漏に愧じざれ」は、人目のない部屋の奥の暗い隅でも恥じる行いをするな、という意味で、『中庸』は結びの章でこの句を引き、君子は人に見えないところでこそ慎むと説いた。「神の格るは、度るべからず、矧んや射うべけんや」も『中庸』の鬼神の徳を論じる章に引かれる。「我に投ずるに桃を以てすれば、之に報ゆるに李を以てす」は、善意には善意で報いるという成語「投桃報李」のもとである。後半は、手を引き耳を引っぱってまで教えても聞き流す「小子」への嘆きで、「諄諄」と「藐藐」の対比は、熱心に教える側と上の空で聞く側のすれ違いを今に伝える。毛詩序は全体を武公が厲王を刺り自らを戒めた詩とするが、老いた者が若者を諭す口調は、そのまま自分自身への戒めとしても読める。

この章句が説くこと

詩経慎独屋漏投桃報李教え

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る