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詩経 / 大雅・生民之什・公劉

《公劉》,召康公戒成王也。成王將涖政,戒以民事,美公劉之厚於民,而獻是詩也。 篤公劉,匪居匪康。迺埸迺疆,迺積迺倉。迺裹餱糧,于橐于囊,思輯用光。弓矢斯張,干戈戚揚,爰方啟行。 篤公劉,于胥斯原,既庶既繁,既順迺宣,而無永歎。陟則在巘,復降在原。何以舟之?維玉及瑤,鞞琫容刀。 篤公劉,逝彼百泉,瞻彼溥原,迺陟南岡,乃覯于京。京師之野,于時處處,于時廬旅,于時言言,于時語語。 篤公劉,于京斯依。蹌蹌濟濟,俾筵俾几。既登乃依,乃造其曹。執豕于牢,酌之用匏。食之飲之,君之宗之。 篤公劉,既溥既長,既景迺岡,相其陰陽,觀其流泉。其軍三單,度其隰原,徹田為糧。度其夕陽,豳居允荒。 篤公劉,于豳斯館。涉渭為亂,取厲取鍛。止基迺理,爰眾爰有。夾其皇澗,溯其過澗。止旅乃密,芮鞫之即。

新字:《公劉》,召康公戒成王也。成王将涖政,戒以民事,美公劉之厚於民,而献是詩也。 篤公劉,匪居匪康。迺埸迺疆,迺積迺倉。迺裹餱糧,于橐于嚢,思輯用光。弓矢斯張,干戈戚揚,爰方啓行。 篤公劉,于胥斯原,既庶既繁,既順迺宣,而無永嘆。陟則在巘,復降在原。何以舟之?維玉及瑤,鞞琫容刀。 篤公劉,逝彼百泉,瞻彼溥原,迺陟南岡,乃覯于京。京師之野,于時処処,于時廬旅,于時言言,于時語語。 篤公劉,于京斯依。蹌蹌済済,俾筵俾几。既登乃依,乃造其曹。執豕于牢,酌之用匏。食之飲之,君之宗之。 篤公劉,既溥既長,既景迺岡,相其陰陽,観其流泉。其軍三単,度其隰原,徹田為糧。度其夕陽,豳居允荒。 篤公劉,于豳斯館。渉渭為乱,取厲取鍛。止基迺理,爰衆爰有。夾其皇澗,溯其過澗。止旅乃密,芮鞫之即。

書き下し

公劉(こうりゅう)は、召康公(しょうこうこう)成王を戒むるなり。成王将に政に涖(のぞ)まんとし、戒むるに民事を以てし、公劉の民に厚きを美して、是の詩を献ずるなり。 篤(あつ)き公劉、居(お)らず康(やす)んぜず。迺(すなわ)ち埸(えき)し迺ち疆(さかい)し、迺ち積み迺ち倉(おさ)む。迺ち餱糧(こうりょう)を裹(つつ)み、橐(たく)に囊(のう)にし、輯(やわら)げて用て光(おお)いにせんと思う。弓矢斯(ここ)に張り、干戈戚揚(かんかせきよう)、爰(ここ)に方(はじ)めて行を啓く。 篤き公劉、斯の原を胥(み)る。既に庶(おお)く既に繁く、既に順(したが)い迺ち宣(の)べ、永く歎くこと無し。陟(のぼ)れば則ち巘(けん)に在り、復た降りて原に在り。何を以てか之を舟(お)びん。維れ玉と瑤(よう)、鞞琫(へいほう)容刀。 篤き公劉、彼の百泉に逝(ゆ)き、彼の溥(ひろ)き原を瞻(み)る。迺ち南岡に陟り、乃ち京を覯(み)る。京師の野、時(ここ)に処処し、時に廬旅(ろりょ)し、時に言言し、時に語語す。 篤き公劉、京に斯れ依る。蹌蹌(そうそう)済済(せいせい)として、筵を俾(せ)しめ几を俾しむ。既に登り乃ち依り、乃ち其の曹(そう)に造(いた)る。豕(いのこ)を牢(ろう)に執り、之を酌むに匏(ほう)を用う。之に食わしめ之に飲ましめ、之を君とし之を宗とす。 篤き公劉、既に溥(ひろ)く既に長く、既に景(はか)り迺ち岡にし、其の陰陽を相(み)、其の流泉を観る。其の軍三単(さんたん)、其の隰原(しつげん)を度(はか)り、田を徹して糧と為す。其の夕陽を度り、豳(ひん)の居允(まこと)に荒(おお)いなり。 篤き公劉、豳に斯れ館す。渭(い)を渉りて乱(わた)り、厲(れい)を取り鍛(たん)を取る。止基(しき)迺ち理(おさ)まり、爰に衆く爰に有り。其の皇澗(こうかん)を夾(はさ)み、其の過澗を溯(さかのぼ)る。止旅乃ち密に、芮鞫(ぜいきく)に之れ即く。

現代語訳

「公劉」の詩は、召康公(召公奭)が成王を戒めたものである。成王が自ら政治に臨もうとしたとき、民の暮らしに心を配るよう戒め、周の祖先公劉が民に手厚かったことをほめて、この詩を献じたのである。 篤実な公劉は、じっと住まうことも安楽にすることもしなかった。田の境を整え、国の境を定め、収穫を野に積み、倉に納めた。干飯(ほしいい)や食糧を包み、小さな袋にも大きな袋にも詰め、民を和ませて国を大いに輝かせようと思った。弓と矢を張り、盾と戈(ほこ)、斧と鉞(まさかり)をそろえて、ここに初めて移住の旅に出発した。 篤実な公劉は、この原野を見て回った。人は多く、よく茂り、民は心から従って気持ちを晴らし、いつまでも嘆くことはなかった。登っては小高い峰に立ち、また降りて原野に立つ。その身に帯びていたものは何か。玉と美しい石、それに飾りの付いた鞘に収めた刀であった。 篤実な公劉は、あの多くの泉のあたりに行き、あの広い原野を見渡した。そこで南の丘に登り、都を開くべき高台を見いだした。都の野に、ここに住まいを定め、ここに仮の宿りを設け、ここに人々は語り合い、ここに話し合った。 篤実な公劉は、都の地に身を寄せた。人々は礼にかなって整い、敷物を敷かせ、脚付きの台を置かせた。席に上って台にもたれると、臣下たちの群れのもとへ赴いた。囲いから豚を取って料理し、ひょうたんの器で酒を酌む。人々に食べさせ飲ませ、皆は彼を君主とし、一族の長として仰いだ。 篤実な公劉は、土地を広く長く開き、日影で方角を測って丘に拠り、日の当たる側と陰の側を見定め、流れる泉を観察した。その軍を三つに分けて交代させ、低い湿地と原野を測り、田を整えて税を定め、食糧とした。夕日の当たる西の土地も測り、豳(ひん)の住まいはまことに広大となった。 篤実な公劉は、豳に館を構えた。渭水(いすい)を横切って渡り、砥石を取り、鉄を打つ石を取った。住まいの基はすでに整い、人は多く、物は豊かになった。大きな谷川を両側にはさみ、向かいの谷川をさかのぼる。移り住む人々はいよいよ多く、芮(ぜい)の川の湾曲したところにまで住みついた。

解説

周の遠い祖先である公劉が、民を率いて豳(ひん)の地へ移り住み、国の基を開いた事績を歌う叙事詩である。六章すべてが「篤き公劉」で始まり、食糧を包んで武器を整え出発する場面、原野を見て回る場面、都の地を選び人々と語り合う場面、宴を開いて君主と仰がれる場面、土地の陰陽や水の流れを測って田を整える場面、渭水を渡って資材を取り住まいを広げる場面が、順に描かれる。毛詩序は、召康公が政治を始める成王に、民の暮らしこそ大事と戒めるために献じた詩とする。『孟子』梁恵王下では、斉の宣王が「寡人は貨を好む」と言ったのに対し、孟子がこの詩の第一章を引き、公劉も財を好んだが、それを民と共にしたのだと説いた。指導者が自ら土地を歩き、測り、民と食を分かち合う。その具体的な手順の描写こそ、この詩の迫力である。

この章句が説くこと

詩経公劉周移住民

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