詩経 / 小雅・魚藻之什・漸漸之石
《漸漸之石》,下國刺幽王也。戎狄叛之,荊舒不至,乃命將率東征。役久病於外,故作是詩也。 漸漸之石,維其高矣。山川悠遠,維其勞矣。武人東征,不皇朝矣。 漸漸之石,維其卒矣。山川悠遠,曷其沒矣?武人東征,不皇出矣。 有豕白蹢,烝涉波矣。月離于畢,俾滂沱矣。武人東征,不皇他矣。
新字:《漸漸之石》,下国刺幽王也。戎狄叛之,荊舒不至,乃命将率東征。役久病於外,故作是詩也。 漸漸之石,維其高矣。山川悠遠,維其労矣。武人東征,不皇朝矣。 漸漸之石,維其卒矣。山川悠遠,曷其没矣?武人東征,不皇出矣。 有豕白蹢,烝渉波矣。月離于畢,俾滂沱矣。武人東征,不皇他矣。
書き下し
漸漸之石(ざんざんのいし)は、下国幽王を刺るなり。戎狄(じゅうてき)これに叛き、荊舒(けいじょ)至らず、乃ち将率に命じて東征せしむ。役久しく外に病む。故に是の詩を作るなり。 漸漸(ざんざん)たる石、維(こ)れ其れ高し。山川悠遠にして、維れ其れ労す。武人東征し、朝(あした)するに皇(いとま)あらず。 漸漸たる石、維れ其れ卒(けわ)し。山川悠遠にして、曷(いつ)か其れ没(つ)きん。武人東征し、出づるに皇あらず。 豕(いのこ)有り白き蹢(ひづめ)、烝(もろもろ)波を渉る。月畢(ひつ)に離(かか)り、滂沱(ぼうだ)たらしむ。武人東征し、他を皇(かえり)みず。
現代語訳
「漸漸之石」の詩は、諸侯の国の人々が幽王をそしったものである。西戎や北狄が背き、南方の荊(楚)や舒の国々も朝貢に来なくなったので、王は将軍に命じて東方へ遠征させた。兵役は長引き、兵たちは遠い地で疲れ苦しんだ。そこでこの詩を作ったのである。 切り立った岩山は、なんと高いことか。山も川もはるかに遠く、なんと苦しいことか。武人たちは東へ遠征し、朝の休みを取る暇もない。 切り立った岩山は、なんと険しいことか。山も川もはるかに遠く、いつになったら尽きるのか。武人たちは東へ遠征し、抜け出す暇もない。 白いひづめの豚の群れが、そろって波を渡っていく。月が畢(ひつ)の星宿にかかって、大雨を降らせる。武人たちは東へ遠征し、ほかのことを顧みる暇もない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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