導師導古典を学びたいすべての人に

詩経 / 小雅・魚藻之什・黍苗

《黍苗》,刺幽王也。不能膏潤天下,卿士不能行召伯之職焉。 芃芃黍苗,陰雨膏之。悠悠南行,召伯勞之。 我任我輦,我車我牛。我行既集,蓋云歸哉! 我徒我御,我師我旅。我行既集,蓋云歸處! 肅肅謝功,召伯營之。烈烈征師,召伯成之。 原隰既平,泉流既清。召伯有成,王心則寧。

新字:《黍苗》,刺幽王也。不能膏潤天下,卿士不能行召伯之職焉。 芃芃黍苗,陰雨膏之。悠悠南行,召伯労之。 我任我輦,我車我牛。我行既集,蓋云帰哉! 我徒我御,我師我旅。我行既集,蓋云帰処! 粛粛謝功,召伯営之。烈烈征師,召伯成之。 原隰既平,泉流既清。召伯有成,王心則寧。

書き下し

黍苗(しょびょう)は、幽王を刺るなり。天下を膏潤(こうじゅん)すること能わず、卿士召伯(しょうはく)の職を行うこと能わず。 芃芃(ほうほう)たる黍苗、陰雨これを膏(うるお)す。悠悠たる南行、召伯これを労(ねぎら)う。 我が任(にない)我が輦(れん)、我が車我が牛。我が行既に集(な)る、蓋(なん)ぞ云(ここ)に帰らざらんや。 我が徒我が御、我が師我が旅。我が行既に集る、蓋ぞ云に帰り処(お)らざらんや。 粛粛たる謝の功、召伯これを営む。烈烈たる征師、召伯これを成す。 原隰(げんしゅう)既に平らかに、泉流既に清し。召伯成すこと有り、王の心則ち寧(やす)し。

現代語訳

「黍苗」の詩は、幽王をそしったものである。王は天下の民を恵みで潤すことができず、執政の卿士たちも、かつての召伯(しょうはく)のような務めを果たすことができなかった。 すくすくと伸びるきびの苗を、恵みの雨が潤している。はるばると南へ向かう旅を、召伯がいたわってくださる。 私たちの背負う荷、引く車、私たちの荷車、私たちの牛。私たちの務めはもう果たした、さあ帰ろうではないか。 私たち歩兵、私たち御者、私たちの軍勢、私たちの隊列。私たちの務めはもう果たした、さあ帰って落ち着こうではないか。 おごそかに進められた謝の町の造営は、召伯が指図して営んだもの。勇ましく出向いた軍勢の務めは、召伯が成し遂げさせたもの。 高原も低地もすっかり平らにならされ、泉も川もすっかり澄みわたった。召伯が務めを成し遂げたので、王の心も安らかになった。

解説

南方の謝の地で城邑を築く工事に従った人々が、仕事を終えて帰る喜びを歌う。きびの苗を潤す雨のように、指揮官の召伯が旅の苦労をねぎらい、工事は整然と進み、土地は平らに、泉は澄んで、王も安心した、という明るい達成の歌である。召伯は召穆公虎を指すとされ、宣王が申伯を謝に封じた際に城邑を築かせたことは、大雅の崧高篇にも歌われている。朱熹『詩集伝』はこの事業に従った者が作った詩と読む。毛詩序はこれを幽王をそしる詩とし、宣王の時の召伯のように民を潤す執政が今はいない、と過去の善政を引いて現在を照らす読み方をした。雨が苗を潤すように、上に立つ者のねぎらいが働く者の力を引き出す。大きな仕事を終えたあと、皆で帰れる喜びを分かち合えるかどうかは、指揮する者の器量にかかっている。

この章句が説くこと

詩経召伯労役ねぎらい宣王

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る