詩経 / 小雅・鴻鴈之什・黄鳥
《黃鳥》,刺宣王也。 黃鳥黃鳥,無集于穀,無啄我粟。此邦之人,不我肯穀。言旋言歸,復我邦族。 黃鳥黃鳥,無集于桑,無啄我粱。此邦之人,不可與明。言旋言歸,復我諸兄。 黃鳥黃鳥,無集于栩,無啄我黍。此邦之人,不可與處。言旋言歸,復我諸父。
新字:《黄鳥》,刺宣王也。 黄鳥黄鳥,無集于穀,無啄我粟。此邦之人,不我肯穀。言旋言帰,復我邦族。 黄鳥黄鳥,無集于桑,無啄我粱。此邦之人,不可与明。言旋言帰,復我諸兄。 黄鳥黄鳥,無集于栩,無啄我黍。此邦之人,不可与処。言旋言帰,復我諸父。
書き下し
黄鳥(こうちょう)は、宣王を刺(そし)るなり。 黄鳥黄鳥、穀(こうぞ)に集まること無かれ、我が粟(ぞく)を啄(ついば)むこと無かれ。此の邦の人、我を肯えて穀(やしな)わず。言(ここ)に旋(かえ)り言に帰り、我が邦族に復(かえ)らん。 黄鳥黄鳥、桑に集まること無かれ、我が粱(りょう)を啄むこと無かれ。此の邦の人、与(とも)に明(ちか)うべからず。言に旋り言に帰り、我が諸兄に復らん。 黄鳥黄鳥、栩(くぬぎ)に集まること無かれ、我が黍(きび)を啄むこと無かれ。此の邦の人、与に処(お)るべからず。言に旋り言に帰り、我が諸父に復らん。
現代語訳
「黄鳥」の詩は、周の宣王をそしったものである。 こうらいうぐいすよ、こうらいうぐいすよ、こうぞの木に集まるな、わたしの粟をついばむな。この国の人々は、わたしを養おうとしてくれない。さあ引き返そう、帰ろう、わたしの国の一族のもとへ戻ろう。 こうらいうぐいすよ、こうらいうぐいすよ、桑の木に集まるな、わたしの大粟をついばむな。この国の人々とは、誠を誓い合うことができない。さあ引き返そう、帰ろう、わたしの兄たちのもとへ戻ろう。 こうらいうぐいすよ、こうらいうぐいすよ、くぬぎの木に集まるな、わたしの黍をついばむな。この国の人々とは、ともに暮らしていくことができない。さあ引き返そう、帰ろう、わたしのおじたちのもとへ戻ろう。
解説
この章句が説くこと
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