詩経 / 小雅・鴻鴈之什・祈父
《祈父》,刺宣王也。 祈父,予王之爪牙。胡轉予于恤,靡所止居? 祈父,予王之爪士。胡轉予于恤,靡所厎止? 祈父,亶不聰。胡轉予于恤,有母之尸饔!
新字:《祈父》,刺宣王也。 祈父,予王之爪牙。胡転予于恤,靡所止居? 祈父,予王之爪士。胡転予于恤,靡所厎止? 祈父,亶不聰。胡転予于恤,有母之尸饔!
書き下し
祈父(きほ)は、宣王を刺(そし)るなり。 祈父、予(われ)は王の爪牙(そうが)なり。胡(なん)ぞ予を恤(うれ)いに転じ、止居する所靡(な)からしむる。 祈父、予は王の爪士なり。胡ぞ予を恤いに転じ、厎止(ていし)する所靡からしむる。 祈父、亶(まこと)に聡(さと)からず。胡ぞ予を恤いに転じ、母の饔(よう)を尸(つかさど)る有らしむる。
現代語訳
「祈父」の詩は、周の宣王をそしったものである。 司馬の長官よ、わたしは王の爪や牙となる近衛の兵である。どうしてわたしを憂いの多い戦地へ回し、身を落ち着ける所も無くさせるのか。 司馬の長官よ、わたしは王の爪となる近衛の兵士である。どうしてわたしを憂いの多い戦地へ回し、とどまって休む所も無くさせるのか。 司馬の長官よ、あなたはまことに物事が見えていない。どうしてわたしを憂いの多い戦地へ回し、老いた母に自ら食事の支度をさせるようなことになるのか。
解説
王の身辺を守る近衛の兵が、軍を司る司馬(祈父)に向かって、なぜ自分を遠い戦地に回したのかと抗議する詩である。三章とも「祈父」と呼びかけて始まり、最後の章では、自分がいないために老いた母が自ら食事の支度をしなければならない、と家族の苦しみを訴える。毛詩序は宣王を刺る詩とし、旧注は、宣王の晩年に軍事の秩序が乱れ、王の護衛にあたる兵までが遠征に駆り出された事情と結びつける。朱熹『詩集伝』も、軍士が司馬を怨んだ詩と読む。中興の名君とされた宣王の時代にも、その晩年には綻びが見えたことを伝える詩である。「爪牙」という言葉は後に、主君を守る腹心の武臣を指す語となった。人の配置を誤れば、本人だけでなくその家族まで苦しむ。人を動かす立場にある者への戒めとして読める。
この章句が説くこと
詩経宣王兵役母爪牙
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