詩経 / 国風・豳風・狼跋
《狼跋》,美周公也。周公攝政,遠則四國流言,近則王不知。周大夫美其不失其聖也。 狼跋其胡,載疐其尾。公孫碩膚,赤舄几几。 狼疐其尾,載跋其胡。公孫碩膚,德音不瑕?
新字:《狼跋》,美周公也。周公摂政,遠則四国流言,近則王不知。周大夫美其不失其聖也。 狼跋其胡,載疐其尾。公孫碩膚,赤舄几几。 狼疐其尾,載跋其胡。公孫碩膚,徳音不瑕?
書き下し
狼跋(ろうばつ)は、周公を美むるなり。周公摂政するに、遠くは則ち四国流言し、近くは則ち王知らず。周の大夫、其の聖を失わざるを美むるなり。 狼其の胡(あごひげ)を跋(ふ)み、載(すなわ)ち其の尾に疐(つまず)く。公孫(こうそん)碩膚(せきふ)、赤舄(せきせき)几几(きき)たり。 狼其の尾に疐き、載ち其の胡を跋む。公孫碩膚、徳音瑕(きず)あらず。
現代語訳
「狼跋」の詩は、周公をほめたたえたものである。周公が幼い成王に代わって政治を執ったとき、遠くでは四方の国々が根も葉もない噂を流し、近くでは王がその真意を知らなかった。周の大夫たちは、それでも周公が聖人としての徳を失わなかったことをほめたたえたのである。 狼が進めば垂れた喉の肉を踏み、退けば自分の尾につまずく。けれども公孫(周公)は大らかで立派なお方、赤い靴をはいて悠然と落ち着いておられる。 狼が退けば自分の尾につまずき、進めば垂れた喉の肉を踏む。けれども公孫は大らかで立派なお方、その評判には何の傷もない。
解説
老いた狼が進めば喉の垂れ肉を踏み、退けば尾につまずく、という身動きの取れない姿を歌い起こし、それとは対照的に、赤い靴をはいて悠然と構える「公孫」をたたえる詩である。豳風の最後の篇にあたる。毛詩序は、周公が摂政として政治を執ったとき、外では四方の国々が流言を広め、内では成王が真意を知らなかったが、それでも周公が聖人の徳を失わなかったことを、周の大夫がたたえた詩と読む。「公孫」を誰と見るかには説が分かれ、古い注は成王とし、朱熹は周公と見て、「孫」を「遜(へりくだる)」の意に解した。いずれにせよ、進退きわまる困難のただ中でも、落ち着きと品位を保つ人物の姿が描かれている。疑われ、噂を立てられたときこそ、その人の器が見える。身の処し方を考えさせる詩である。
この章句が説くこと
詩経豳周公流言品位
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