詩経 / 国風・豳風・九罭
《九罭》,美周公也。周大夫刺朝廷之不知也。 九罭之魚,鱒魴。我覯之子,袞衣繡裳。 鴻飛遵渚,公歸無所,於女信處。 鴻飛遵陸,公歸不復。於女信宿! 是以有袞衣兮,無以我公歸兮,無使我心悲兮!
新字:《九罭》,美周公也。周大夫刺朝廷之不知也。 九罭之魚,鱒魴。我覯之子,袞衣繍裳。 鴻飛遵渚,公帰無所,於女信処。 鴻飛遵陸,公帰不復。於女信宿! 是以有袞衣兮,無以我公帰兮,無使我心悲兮!
書き下し
九罭(きゅうよく)は、周公を美むるなり。周の大夫、朝廷の知らざるを刺るなり。 九罭の魚は、鱒(そん)と魴(ほう)と。我之の子に覯う、袞衣(こんい)繡裳(しゅうしょう)。 鴻(おおとり)飛びて渚(なぎさ)に遵(したが)う、公帰るに所無からんや、女(なんじ)に於いて信(しん)処(しょ)す。 鴻飛びて陸に遵う、公帰りて復(かえ)らず、女に於いて信宿(しんしゅく)す。 是を以て袞衣有り、我が公を以て帰ること無かれ、我が心をして悲しましむる無かれ。
現代語訳
「九罭」の詩は、周公をほめたたえたものである。周の大夫たちが、朝廷が周公の真価を知らないことを非難したのである。 目の細かい網にかかった魚は、ますとおしきうお。私がこのお方にお会いすると、竜を描いた上着に刺繍の裳(もすそ)をお召しだ。 大きな白鳥が飛んで水辺の中州に沿って行く。殿がお帰りになる場所がないはずはない、お前たちのもとにはしばしお泊まりになるだけだ。 大きな白鳥が飛んで陸地に沿って行く。殿はお帰りになればもう戻ってはこられない、お前たちのもとにはしばしお泊まりになるだけだ。 だからこそここに竜の礼服がある、どうかわが殿を連れ帰らないでくれ、私の心を悲しませないでくれ。
解説
目の細かい網にかかったますやおしきうおを歌い起こし、竜を描いた礼服(袞衣)をまとった高貴な人に会えた喜びと、その人がいずれ都へ帰ってしまう寂しさを歌う。袞衣は天子や上公が着る礼服で、ここでは周公を指すと解される。毛詩序は、周の大夫が周公をたたえ、朝廷が周公を正しく迎えないことを刺った詩と読む。一方、朱熹は、周公が東方に滞在していたとき、東方の人々が周公の帰還を惜しんで引き留めようとした詩と見ており、詩そのものからはこの読みがより素直に響く。白鳥が渚や陸に沿って飛ぶ姿は、行くべき場所へ帰っていく人の姿のたとえである。優れた人が自分たちのもとに一時滞在し、やがて去っていくとき、人はその別れを惜しまずにはいられない。出会いの喜びと別れの予感が一つになった詩である。
この章句が説くこと
詩経豳周公別れ引き留め
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