詩経 / 国風・檜風・隰有萇楚
《隰有萇楚》,疾恣也。國人疾其君之淫恣,而思無情慾者也。 隰有萇楚,猗儺其枝。夭之沃沃,樂子之無知。 隰有萇楚,猗儺其華。夭之沃沃,樂子之無家。 隰有萇楚,猗儺其實。夭之沃沃,樂子之無室。
新字:《隰有萇楚》,疾恣也。国人疾其君之淫恣,而思無情慾者也。 隰有萇楚,猗儺其枝。夭之沃沃,楽子之無知。 隰有萇楚,猗儺其華。夭之沃沃,楽子之無家。 隰有萇楚,猗儺其実。夭之沃沃,楽子之無室。
書き下し
隰有萇楚(しつゆうちょうそ)は、恣(ほしいまま)なるを疾むなり。国人、其の君の淫恣(いんし)を疾みて、情慾無き者を思うなり。 隰(さわ)に萇楚(ちょうそ)有り、猗儺(いだ)たる其の枝。夭(よう)の沃沃(よくよく)たる、子の知無きを楽(うらや)む。 隰に萇楚有り、猗儺たる其の華。夭の沃沃たる、子の家無きを楽む。 隰に萇楚有り、猗儺たる其の実。夭の沃沃たる、子の室無きを楽む。
現代語訳
「隰有萇楚」の詩は、ほしいままなふるまいをにくんだものである。国の人々が、君主のみだらで勝手なふるまいをにくみ、欲望に動かされない者を慕ったのである。 沢地にさるなしの木がある、その枝はしなやかにたわむ。若々しくつややかに茂って、お前に物思いがないのがうらやましい。 沢地にさるなしの木がある、その花はしなやかに揺れる。若々しくつややかに咲いて、お前に家の重荷がないのがうらやましい。 沢地にさるなしの木がある、その実はしなやかに垂れる。若々しくつややかに実って、お前に妻子の心配がないのがうらやましい。
解説
沢地に生えるさるなし(萇楚)の、しなやかな枝や花や実を見て、「お前には知る苦しみも、家も、妻もないのがうらやましい」と歌う。人が草木をうらやむという逆説の形で、生きることの重さを語る詩である。毛詩序は、国の人々が君主の勝手なふるまいを嫌い、欲望を持たない者を慕った詩と読む。一方、朱熹は、政治が乱れて重い負担に苦しむ民が、知覚もなく家族もない草木をうらやんだ歌と読み直した。詩そのものからは、朱熹の読みのほうが素直に響く。家族を持ち、ものを知ることは、本来は喜びであるはずなのに、世が乱れると、それがそのまま苦しみの種になる。心配を抱えずにいられる草木がうらやましいと思うほどの疲れは、今の社会でも決して珍しくない。弱音を詩にすることで、かろうじて自分を支えている声である。
この章句が説くこと
詩経檜苦しみ草木朱熹
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