詩経 / 国風・檜風・素冠
《素冠》,刺不能三年也。 庶見素冠兮,棘人欒欒兮,勞心慱慱兮! 庶見素衣兮,我心傷悲兮!聊與子同歸兮。 庶見素韠兮,我心蘊結兮,聊與子如一兮。
新字:《素冠》,刺不能三年也。 庶見素冠兮,棘人欒欒兮,労心慱慱兮! 庶見素衣兮,我心傷悲兮!聊与子同帰兮。 庶見素韠兮,我心蘊結兮,聊与子如一兮。
書き下し
素冠(そかん)は、三年なること能わざるを刺るなり。 庶(こいねが)わくは素冠を見ん、棘人(きょくじん)欒欒(らんらん)たり、心を労して慱慱(たんたん)たり。 庶わくは素衣を見ん、我が心傷悲す、聊(いささ)か子と同じく帰せん。 庶わくは素韠(そひつ)を見ん、我が心蘊結(うんけつ)す、聊か子と一の如くならん。
現代語訳
「素冠」の詩は、三年の喪を守り通すことができなくなった世を非難したものである。 せめて白い喪の冠をかぶった人に会いたい、悲しみにやつれてやせ衰えた人に。思えば心は痛み憂えるばかりだ。 せめて白い喪服を着た人に会いたい、わが心は悲しみに沈む。できるならその人とともに帰っていきたい。 せめて白い膝かけをつけた人に会いたい、わが心は憂いに結ぼれる。できるならその人と一つになりたい。
解説
白い冠、白い衣、白い膝かけという喪服の姿を「せめて見たい」と願い、悲しみにやつれた人の姿を思い描く詩である。毛詩序は、親の死に三年の喪を尽くす人がいなくなった世を刺った詩と読み、喪礼を守る人がいれば会いたい、という嘆きと解する。朱熹もこの読みに従う。三年の喪をめぐっては、『論語』陽貨篇に、弟子の宰我が一年で十分ではないかと問い、孔子が、子は生まれて三年たって父母の懐を離れるのだと答えた話がある。三年の喪は古くから守りにくいものとされていたのである。一方、近代には、喪服の人を恋人や亡き人と重ねる愛の歌と読む説もある。形式としての喪は時代とともに変わるが、大切な人を失った悲しみに十分な時間をかけることの意味は、今も失われていない。
この章句が説くこと
詩経檜喪三年論語
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