詩経 / 国風・檜風・羔裘
《羔裘》,大夫以道去其君也。國小而迫,君不用道,好絜其衣服,逍遙遊燕,而不能自強於政治,故作是詩也。 羔裘逍遙,狐裘以朝。豈不爾思?勞心忉忉! 羔裘翱翔,狐裘在堂。豈不爾思?我心憂傷! 羔裘如膏,日出有曜。豈不爾思?中心是悼!
新字:《羔裘》,大夫以道去其君也。国小而迫,君不用道,好絜其衣服,逍遥遊燕,而不能自強於政治,故作是詩也。 羔裘逍遥,狐裘以朝。豈不爾思?労心忉忉! 羔裘翱翔,狐裘在堂。豈不爾思?我心憂傷! 羔裘如膏,日出有曜。豈不爾思?中心是悼!
書き下し
羔裘(こうきゅう)は、大夫、道を以て其の君を去るなり。国小にして迫り、君、道を用いず、好んで其の衣服を絜(いさぎよ)くし、逍遥(しょうよう)遊燕(ゆうえん)して、自ら政治に強(つと)むること能わず、故に是の詩を作るなり。 羔裘にて逍遥し、狐裘にて以て朝す。豈に爾(なんじ)を思わざらんや、心を労して忉忉(とうとう)たり。 羔裘にて翱翔(こうしょう)し、狐裘にて堂に在り。豈に爾を思わざらんや、我が心憂傷す。 羔裘は膏(あぶら)の如く、日出でて曜(かがや)き有り。豈に爾を思わざらんや、中心是れ悼む。
現代語訳
「羔裘」の詩は、大夫が道理に従ってその君のもとを去ったものである。国は小さく大国に迫られているのに、君主は道理を用いず、衣服を美しく整えることを好み、ぶらぶらと遊び宴を楽しんで、自ら政治に努めることができなかった。そこでこの詩を作ったのである。 子羊の皮ごろもでぶらぶらと遊び歩き、狐の皮ごろもで朝廷に出る。どうしてあなたを思わずにいられよう、心は痛み憂いに沈む。 子羊の皮ごろもで悠々と歩き回り、狐の皮ごろもで表座敷にいる。どうしてあなたを思わずにいられよう、わが心は憂い悲しむ。 子羊の皮ごろもは脂を塗ったようにつややかで、日が昇ると光り輝く。どうしてあなたを思わずにいられよう、胸の内は悲しみに沈む。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
呂氏春秋・先己④詩に曰く、「轡を執ること組の如し。」孔子曰く、「此の言を審らかにすれば、以て天下を為む可し。」子貢曰く、「何ぞ其れ躁なるや。」孔子曰く、「其の躁なるを謂うに非ざるなり。其の之を此に為めて、文を彼に成すを謂えるなり。」聖人は其の身を組修して、文を天下に成す。故に子華子曰く、「丘陵成りて、穴する者安んじ、深淵成りて魚鱉安んじ、松柏成りて塗の人已に蔭せらる。」
-
孔子家語・論禮子夏、孔子に侍坐して曰わく、「敢えて問う、詩に云う、『愷悌の君子は、民の父母』と。何如なれば斯れ民の父母と謂うべきか。」孔子曰わく、「夫れ民の父母は、必ず礼楽の源に達し、以て五至を致し三無を行い、以て天下に横たわる。四方に敗有れば、必ず先んじてこれを知る。此れを民の父母と謂う。」
-
論語・八佾篇『関雎』は楽しくして淫せず、哀しくして傷(やぶ)らず。
-
荀子・宥坐篇詩に曰く、「彼の日月を瞻(み)れば、悠悠たり我が思い。道の云(ここ)に遠き、曷(いつ)か云に能く来たらん」と。子曰く、「伊(そ)れ稽首(けいしゅ)せば、其れ来たること有らざらんや」と。
-
荀子・大略篇国風の色を好むや、伝に曰く、「其の欲を盈(み)たして其の止(とど)まるを愆(あやま)らず。其の誠は金石に比すべく、其の声は宗廟に内(い)るべし」と。小雅は汙上(をじょう)に用ゐられず、自ら引きて下に居り、今の政を疾(にく)みて以て往者を思ふ。其の言に文(あや)有り、其の声に哀しみ有り。
-
『呻吟語』外篇・治道・民の父母『詩』に云ふ、「樂しき君子は、民の父母」と。又た曰く、「豈弟の君子は、民の父母」と。君子は『詩』に觀て、政を為すの道を知るなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る