詩経 / 国風・陳風・株林
《株林》,刺靈公也。淫乎夏姬,驅馳而往,朝夕不休息焉。 胡為乎株林,從夏南?匪適株林,從夏南! 駕我乘馬,說于株野。乘我乘駒,朝食于株。
新字:《株林》,刺霊公也。淫乎夏姫,駆馳而往,朝夕不休息焉。 胡為乎株林,従夏南?匪適株林,従夏南! 駕我乗馬,説于株野。乗我乗駒,朝食于株。
書き下し
株林(しゅりん)は、霊公(れいこう)を刺るなり。夏姫(かき)に淫し、駆馳(くち)して往き、朝夕休息せず。 胡為(なんす)れぞ株林にして、夏南(かなん)に従う。株林に適(ゆ)くに匪(あら)ず、夏南に従うなり。 我が乗馬を駕して、株の野に説(やど)る。我が乗駒(じょうく)に乗りて、朝に株に食す。
現代語訳
「株林」の詩は、陳の霊公を非難したものである。霊公は夏姫と密通し、車を走らせて通い、朝から晩まで休むこともなかった。 どうして株の林へ出かけて、夏南のもとへ行かれるのか。株の林へ行くのではない、夏南のところへ行かれるのだ。 四頭立ての馬車を仕立てて、株の野で車を止めて休む。若駒の馬車に乗って、朝には株で朝食をとる。
解説
陳の霊公が夏姫のもとへ通う様子を、民がとぼけた問答の形で皮肉った詩である。株は夏氏の領地、夏南は夏姫の子の夏徴舒を指す。「夏南のところへ」と言い換えることで、実は母の夏姫に会いに行くのだと、あからさまに言わずに刺っている。『春秋左氏伝』宣公九年・十年によれば、霊公は大夫の孔寧・儀行父とともに夏姫と通じ、朝廷で戯れ合うまでになり、ついに夏徴舒に射殺された。翌年には楚の荘王がこれを口実に陳に攻め入った。毛詩序と朱熹の読みはここでは一致し、詩経の中でも史実との対応がはっきりした篇である。君主の私的な乱れが、国の滅亡の危機にまで直結した例として、長く戒めに引かれた。周りの人々は、何も言わなくても実は全部見ている、ということを思わせる詩でもある。
この章句が説くこと
詩経陳夏姫風刺左伝
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