導師導古典を学びたいすべての人に

詩経 / 国風・陳風・衡門

《衡門》,誘僖公也。愿而無立志,故作是詩以誘掖其君也。 衡門之下,可以棲遲。泌之洋洋,可以樂飢。 豈其食魚,必河之魴?豈其取妻,必齊之姜? 豈其食魚,必河之鯉?豈其取妻,必宋之子?

新字:《衡門》,誘僖公也。愿而無立志,故作是詩以誘掖其君也。 衡門之下,可以棲遅。泌之洋洋,可以楽飢。 豈其食魚,必河之魴?豈其取妻,必斉之姜? 豈其食魚,必河之鯉?豈其取妻,必宋之子?

書き下し

衡門(こうもん)は、僖公(きこう)を誘(みちび)くなり。愿(げん)にして立志無し、故に是の詩を作りて以て其の君を誘掖(ゆうえき)するなり。 衡門の下、以て棲遅(せいち)す可し。泌(ひ)の洋洋たる、以て飢えを楽しむ可し。 豈に其れ魚を食うに、必ずしも河の魴(ほう)ならんや。豈に其れ妻を取るに、必ずしも斉の姜(きょう)ならんや。 豈に其れ魚を食うに、必ずしも河の鯉ならんや。豈に其れ妻を取るに、必ずしも宋の子(し)ならんや。

現代語訳

「衡門」の詩は、陳の僖公を導こうとしたものである。僖公は人柄は誠実であったが、事を起こそうという志がなかった。そこでこの詩を作って、その君を助け励まそうとしたのである。 横木を渡しただけの粗末な門の下でも、ゆったりと暮らすことができる。泉の水がたっぷりと湧くのを眺めていれば、ひもじさも楽しんで忘れられる。 魚を食べるのに、黄河の魴(おしきうお)でなければならないことがあろうか。妻を娶るのに、斉の姜氏の姫でなければならないことがあろうか。 魚を食べるのに、黄河の鯉でなければならないことがあろうか。妻を娶るのに、宋の子氏の姫でなければならないことがあろうか。

解説

横木を渡しただけの粗末な門の下でも暮らせる、泉を眺めれば空腹も忘れる、魚は黄河の名物でなくてよい、妻は大国の姫でなくてよい、と歌う。毛詩序は、誠実だが志の立たない陳の僖公を、小国でもできることがあると励まして導いた詩と読む。一方、朱熹はこれを、身の丈に満足して外に求めない隠者の歌と見た。斉の姜氏、宋の子氏は当時最も格式の高い婚姻の相手であり、それを求めないという言い方は、名声や贅沢への執着を手放す態度をよく表している。この詩から「衡門」は隠者の質素な住まいを指すことばとなり、後世の詩文にくり返し用いられた。足るを知ることは、ただの諦めではなく、自分の置かれた場で心を満たす力でもある。「最上のものでなければ」という思い込みを解く詩である。

この章句が説くこと

詩経陳隠者足るを知る衡門

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る