詩経 / 国風・衛風・考槃
《考槃》,刺莊公也。不能繼先公之業,使賢者退而窮處。 考槃在澗,碩人之寬。獨寐寤言,永矢弗諼。 考槃在阿,碩人之薖。獨寐寤歌,永矢弗過。 考槃在陸,碩人之軸。獨寐寤宿,永矢弗告。
新字:《考槃》,刺荘公也。不能継先公之業,使賢者退而窮処。 考槃在澗,碩人之寛。独寐寤言,永矢弗諼。 考槃在阿,碩人之薖。独寐寤歌,永矢弗過。 考槃在陸,碩人之軸。独寐寤宿,永矢弗告。
書き下し
考槃(こうはん)は、荘公を刺るなり。先公の業を継ぐ能わず、賢者をして退きて窮処せしむ。 考槃(こうはん)澗(たに)に在り、碩人(せきじん)の寛(ゆた)かなる。独り寐(い)ね寤(さ)めて言う、永く矢(ちか)って諼(わす)れじ。 考槃阿(おか)に在り、碩人の薖(か)たる。独り寐ね寤めて歌う、永く矢って過(あやま)らじ。 考槃陸(りく)に在り、碩人の軸(じく)たる。独り寐ね寤めて宿る、永く矢って告げじ。
現代語訳
「考槃」の詩は、衛の荘公を風刺したものである。荘公は先君(武公)の事業を受け継ぐことができず、賢者を朝廷から退かせ、山野に貧しく暮らさせたのである。 谷間に小屋を構えて楽しむ、大いなる人の心はゆったりとしている。独り寝て、目覚めてはひとり言う、この楽しみをいつまでも忘れまいと誓う。 丘の上に小屋を構えて楽しむ、大いなる人の心はのびやかだ。独り寝て、目覚めてはひとり歌う、この道を踏み外すまいといつまでも誓う。 高台に小屋を構えて楽しむ、大いなる人はゆったりと過ごす。独り寝て、目覚めてはまた眠る、この楽しみを人に告げまいといつまでも誓う。
解説
谷間や丘に小屋を構え、独り寝て独り歌い、その楽しみを忘れまいと誓う隠者の姿を歌う詩である。考槃の意味には諸説あり、毛伝は「考は成、槃は楽」として隠棲の楽しみを成すことと読み、小屋や楽器と取る説もある。毛詩序は、衛の荘公が賢者を用いず、賢者が退いて貧しく暮らすことになったのを刺ったものとする。一方、朱熹『詩集伝』は、詩の言葉に君主を責める調子は見えないとして、隠者が自ら山野の暮らしを楽しむ歌と読み直した。詩そのものからは、確かに恨みより満ち足りた静けさが伝わってくる。ただ、才ある者が野に埋もれているという事実は、序が言うとおり、治める側の失でもある。自ら選んだ静かな暮らしを楽しむ心と、それを惜しむ世の目と、その両方を読み取ることができる。
この章句が説くこと
詩経隠者衛朱熹閑居
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