詩経 / 国風・秦風・権輿
《權輿》,刺康公也。忘先君之舊臣,與賢者有始而無終也。 於我乎!夏屋渠渠,今也每食無餘。于嗟乎!不承權輿! 於我乎!每食四簋,今也每食不飽。于嗟乎!不承權輿!
新字:《権輿》,刺康公也。忘先君之旧臣,与賢者有始而無終也。 於我乎!夏屋渠渠,今也毎食無余。于嗟乎!不承権輿! 於我乎!毎食四簋,今也毎食不飽。于嗟乎!不承権輿!
書き下し
権輿(けんよ)は、康公を刺るなり。先君の旧臣を忘れ、賢者と始め有りて終わり無きなり。 我に於(ああ)、夏屋(かおく)渠渠(きょきょ)たりしに、今や食ごとに余り無し。于嗟乎(ああ)、権輿を承(つ)がず。 我に於、食ごとに四簋(しき)なりしに、今や食ごとに飽かず。于嗟乎、権輿を承がず。
現代語訳
「権輿」の詩は、秦の康公を非難したものである。先君に仕えた古い家臣たちを忘れ、賢者に対して、初めは厚くもてなしたのに、終わりまで続かなかったのである。 ああ、この私よ。かつては大皿に料理が山と盛られていたのに、今では食事のたびに何も残らない。ああ、初めの頃のようには続かないものだ。 ああ、この私よ。かつては食事のたびに四つの器が並んだのに、今では食事のたびに腹も満たされない。ああ、初めの頃のようには続かないものだ。
解説
かつては豪勢にもてなされていた者が、いまは食事にも事欠くようになったと嘆く、短い詩である。「夏屋」を毛伝は大きな食器と読み、朱熹は大きな屋敷と読むが、いずれにせよ昔の厚遇と今の冷遇が対比されている。毛詩序は、康公が父穆公の旧臣や賢者を、初めは礼遇したのに最後まで続けなかったことを刺った詩とする。朱熹も、君がはじめは賢者を厚く遇したがのちに衰えた詩と見ており、読みは大きく変わらない。「権輿」とは物事の始まりを意味し、この詩からその語が広まった。人を迎えるときの熱意は保ちやすく、それを持ち続けるのは難しい。採用のときだけ手厚く、入ってしまえば放っておく、という組織の姿にもそのまま当てはまる。始めと終わりをそろえることが、信頼を保つ条件だと教える詩である。
この章句が説くこと
詩経秦賢者始めと終わり待遇
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