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詩経 / 国風・秦風・晨風

《晨風》,刺康公也。忘穆公之業,始棄其賢臣焉。 鴥彼晨風,鬱彼北林。未見君子,憂心欽欽。如何如何?忘我實多! 山有苞櫟,隰有六駮。未見君子,憂心靡樂。如何如何?忘我實多! 山有苞棣,隰有樹檖。未見君子,憂心如醉。如何如何?忘我實多!

新字:《晨風》,刺康公也。忘穆公之業,始棄其賢臣焉。 鴥彼晨風,鬱彼北林。未見君子,憂心欽欽。如何如何?忘我実多! 山有苞櫟,隰有六駮。未見君子,憂心靡楽。如何如何?忘我実多! 山有苞棣,隰有樹檖。未見君子,憂心如酔。如何如何?忘我実多!

書き下し

晨風(しんぷう)は、康公(こうこう)を刺るなり。穆公の業を忘れ、始めて其の賢臣を棄つ。 鴥(いつ)たる彼の晨風、鬱(うつ)たる彼の北林。未だ君子を見ず、憂心欽欽(きんきん)たり。如何(いかん)せん如何せん、我を忘るること実に多し。 山に苞櫟(ほうれき)有り、隰(さわ)に六駮(りくはく)有り。未だ君子を見ず、憂心楽しむ靡(な)し。如何せん如何せん、我を忘るること実に多し。 山に苞棣(ほうてい)有り、隰に樹檖(じゅすい)有り。未だ君子を見ず、憂心酔えるが如し。如何せん如何せん、我を忘るること実に多し。

現代語訳

「晨風」の詩は、秦の康公を非難したものである。父の穆公が築いた事業を忘れ、その賢臣たちを見捨て始めたのである。 さっと飛ぶあのはやぶさ、こんもりと茂るあの北の林へ。まだ君に会えず、心の憂いは晴れない。どうしよう、どうしよう。私をすっかりお忘れなのだ。 山にはくぬぎが群がり、沢には六駮の木がある。まだ君に会えず、心は憂えて楽しむこともない。どうしよう、どうしよう。私をすっかりお忘れなのだ。 山には群がるにわうめ、沢には山なしの木がある。まだ君に会えず、心は憂えて酔ったように乱れる。どうしよう、どうしよう。私をすっかりお忘れなのだ。

解説

はやぶさ(晨風)が北の林へ飛び込むさまを歌い起こし、会えない「君子」を待ちわびて「私をすっかりお忘れか」とくり返す詩である。毛詩序は、穆公の子の康公が父の事業を忘れて賢臣を棄てたことを刺った詩と読み、ここでの「君子」は君主、嘆く「我」は捨てられた臣になる。一方、朱熹『詩集伝』は、夫に顧みられなくなった妻の嘆きと読み直した。鳥は林に帰るのに自分には帰る場所がない、という対比は、恋の歌としても臣下の歌としても通じる。中国の詩では、君に見捨てられた臣が自分を捨てられた女になぞらえる語り方が長く続き、屈原以後の文学の大きな流れになった。この詩は、その二重の読みが可能な早い例として読める。忘れられることのつらさは、恋でも職場でも変わらない。

この章句が説くこと

詩経秦忘れられる朱熹君臣

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