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詩経 / 国風・秦風・蒹葭

《蒹葭》,刺襄公也。未能用周禮,將無以固其國焉。 蒹葭蒼蒼,白露為霜。所謂伊人,在水一方。遡洄從之,道阻且長。遡遊從之,宛在水中央。 蒹葭萋萋,白露未晞。所謂伊人,在水之湄。遡洄從之,道阻且躋。遡遊從之,宛在水中坻。 蒹葭采采,白露未已。所謂伊人,在水之涘。遡洄從之,道阻且右。遡遊從之,宛在水中沚。

新字:《蒹葭》,刺襄公也。未能用周礼,将無以固其国焉。 蒹葭蒼蒼,白露為霜。所謂伊人,在水一方。遡洄従之,道阻且長。遡遊従之,宛在水中央。 蒹葭萋萋,白露未晞。所謂伊人,在水之湄。遡洄従之,道阻且躋。遡遊従之,宛在水中坻。 蒹葭采采,白露未已。所謂伊人,在水之涘。遡洄従之,道阻且右。遡遊従之,宛在水中沚。

書き下し

蒹葭(けんか)は、襄公を刺るなり。未だ周礼を用うること能わず、将に以て其の国を固むること無からんとす。 蒹葭蒼蒼(そうそう)たり、白露霜と為る。所謂(いわゆる)伊(こ)の人、水の一方に在り。遡洄(そかい)して之に従えば、道阻(けわ)しくして且つ長し。遡遊(そゆう)して之に従えば、宛(えん)として水の中央に在り。 蒹葭萋萋(せいせい)たり、白露未だ晞(かわ)かず。所謂伊の人、水の湄(ほとり)に在り。遡洄して之に従えば、道阻しくして且つ躋(のぼ)る。遡遊して之に従えば、宛として水中の坻(なかす)に在り。 蒹葭采采(さいさい)たり、白露未だ已(や)まず。所謂伊の人、水の涘(ほとり)に在り。遡洄して之に従えば、道阻しくして且つ右(めぐ)る。遡遊して之に従えば、宛として水中の沚(なかす)に在り。

現代語訳

「蒹葭」の詩は、秦の襄公をそしったものである。まだ周の礼を用いることができず、そのままでは国を固めることができないだろうということである。 葦(あし)の原は青々と茂り、白い露は凍って霜になった。わたしの思うあの人は、川の向こう岸にいる。流れをさかのぼってたずねて行けば、道はけわしく、しかも遠い。流れに沿って下ってたずねて行けば、あの人はまるで川の真ん中にいるかのよう。 葦の原はさやさやと茂り、白い露はまだ乾かない。わたしの思うあの人は、川の水際にいる。流れをさかのぼってたずねて行けば、道はけわしく、しかも登り坂。流れに沿って下ってたずねて行けば、あの人はまるで川の中の小島にいるかのよう。 葦の原は色あざやかに茂り、白い露はまだ消えない。わたしの思うあの人は、川の岸辺にいる。流れをさかのぼってたずねて行けば、道はけわしく、しかも曲がりくねる。流れに沿って下ってたずねて行けば、あの人はまるで川の中の中州にいるかのよう。

解説

秋の朝、霜の降りた葦の原の向こう、川の対岸にいる「あの人」を追い求めるが、さかのぼれば道はけわしく遠く、下れば相手は水の真ん中に浮かぶように遠ざかる。見えているのに届かない思いを、霧のような景色の中に描いた、『詩経』でも屈指の美しい詩である。毛詩序は、秦の襄公が周の礼を用いられず、国を固められないことをそしった詩と読み、鄭玄は「伊の人」を周の礼を知る賢人と解した。朱熹は、誰を指すかはわからないとしながら、求めても得られない思いを歌う詩と見る。今日では多くの人が、恋い慕う人、あるいは憧れの理想を追う歌として愛唱している。求めるものがはっきり見えているのに近づけないもどかしさは、恋にも志にも共通する。追い続けること自体が、人を遠くまで歩ませるのである。

この章句が説くこと

詩経秦憧れ恋秋

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