詩経 / 国風・唐風・無衣
《無衣》,美晉武公也。武公始並晉國,其大夫為之請命乎天子之使,而作是詩也。 豈曰無衣七兮?不如子之衣,安且吉兮! 豈曰無衣六兮?不如子之衣,安且燠兮!
新字:《無衣》,美晋武公也。武公始並晋国,其大夫為之請命乎天子之使,而作是詩也。 豈曰無衣七兮?不如子之衣,安且吉兮! 豈曰無衣六兮?不如子之衣,安且燠兮!
書き下し
無衣は、晋の武公を美(ほ)むるなり。武公始めて晋国を并(あわ)す、其の大夫之(これ)が為に命を天子の使いに請い、而して是の詩を作るなり。 豈に衣七つ無しと曰わんや。子(し)の衣の、安らかにして且つ吉なるに如かず。 豈に衣六つ無しと曰わんや。子の衣の、安らかにして且つ燠(あたた)かなるに如かず。
現代語訳
「無衣」の詩は、晋の武公をほめたものである。武公がはじめて晋の国を併合したとき、その大夫が武公のために周の天子の使者に正式な任命を願い出て、この詩を作ったのである。 七章の飾りの衣がないなどと、どうして言おう。ただ、あなた(天子)から賜る衣の、心安らかでめでたいのには及ばないのだ。 六章の飾りの衣がないなどと、どうして言おう。ただ、あなたから賜る衣の、心安らかで暖かいのには及ばないのだ。
解説
「衣がないわけではない、ただあなたから賜る衣の安らかさには及ばない」と、二章だけで歌う短い詩である。「七」「六」は衣の飾りの数で、諸侯の位に応じた礼服を指すとされる。毛詩序は、曲沃の武公が晋の本家を併せたのち、その大夫が周の天子の使者に対し、武公を正式な晋侯に任じてほしいと願って作った詩と読む。『春秋左氏伝』荘公十六年には、周王が虢公を遣わして曲沃伯を晋侯に任じたことが見える。朱熹は、『史記』晋世家に武公が宝器を周の釐王に献じて晋の君と認められたとあることを引き、実力で奪った位を天子の命で飾ろうとした詩と見て、これをほめる序の読みに疑問を呈した。力で得たものも、正統の承認がなければ落ち着かない。人は実力だけでなく、認められることを求めるのである。
この章句が説くこと
詩経唐晋正統左伝
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