詩経 / 国風・唐風・綢繆
《綢繆》,刺晉亂也。國亂則婚姻不得其時焉。 綢繆束薪,三星在天。今夕何夕,見此良人?子兮子兮,如此良人何? 綢繆束芻,三星在隅。今夕何夕,見此邂逅?子兮子兮,如此邂逅何? 綢繆束楚,三星在戶。今夕何夕,見此粲者?子兮子兮,如此粲者何?
新字:《綢繆》,刺晋乱也。国乱則婚姻不得其時焉。 綢繆束薪,三星在天。今夕何夕,見此良人?子兮子兮,如此良人何? 綢繆束芻,三星在隅。今夕何夕,見此邂逅?子兮子兮,如此邂逅何? 綢繆束楚,三星在戸。今夕何夕,見此粲者?子兮子兮,如此粲者何?
書き下し
綢繆(ちゅうびゅう)は、晋の乱を刺るなり。国乱るれば則ち婚姻其の時を得ず。 綢繆として薪を束(つか)ぬ、三星天に在り。今夕(こんせき)何の夕べぞ、此の良人を見る。子(し)や子や、此の良人を如何(いかん)せん。 綢繆として芻(すう)を束ぬ、三星隅に在り。今夕何の夕べぞ、此の邂逅(かいこう)を見る。子や子や、此の邂逅を如何せん。 綢繆として楚(そ)を束ぬ、三星戸に在り。今夕何の夕べぞ、此の粲者(さんしゃ)を見る。子や子や、此の粲者を如何せん。
現代語訳
「綢繆」の詩は、晋の乱れをそしったものである。国が乱れると、婚姻がふさわしい時期に行われないのである。 ぐるぐると薪を縛って束ねれば、三つ星が空に昇っている。今宵はなんという夜だろう、このよき人に会えるとは。ああ、あなた、あなた、このよき人をどうしたらよいのか。 ぐるぐると干し草を縛って束ねれば、三つ星が空の隅にかかっている。今宵はなんという夜だろう、このめぐり会いに出会えるとは。ああ、あなた、あなた、このめぐり会いをどうしたらよいのか。 ぐるぐるといばらを縛って束ねれば、三つ星が戸口の真上に来ている。今宵はなんという夜だろう、この輝くばかりの美しい人に会えるとは。ああ、あなた、あなた、この美しい人をどうしたらよいのか。
解説
この章句が説くこと
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