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詩経 / 国風・斉風・猗嗟

《猗嗟》,刺魯莊公也。齊人傷魯莊公有威儀技藝,然而不能以禮防閑其母,失子之道,人以為齊侯之子焉。 猗嗟昌兮!頎而長兮。抑若揚兮,美目揚兮。巧趨蹌兮,射則臧兮! 猗嗟名兮!美目清兮!儀既成兮。終日射侯,不出正兮。展我甥兮! 猗嗟孌兮!清揚婉兮。舞則選兮,射則貫兮。四矢反兮,以禦亂兮!

新字:《猗嗟》,刺魯荘公也。斉人傷魯荘公有威儀技芸,然而不能以礼防閑其母,失子之道,人以為斉侯之子焉。 猗嗟昌兮!頎而長兮。抑若揚兮,美目揚兮。巧趨蹌兮,射則臧兮! 猗嗟名兮!美目清兮!儀既成兮。終日射侯,不出正兮。展我甥兮! 猗嗟孌兮!清揚婉兮。舞則選兮,射則貫兮。四矢反兮,以禦乱兮!

書き下し

猗嗟(いさ)は、魯の荘公を刺るなり。斉人、魯の荘公の威儀技芸有るも、然れども礼を以て其の母を防閑すること能わず、子の道を失い、人以て斉侯の子と為すを傷む。 猗嗟(ああ)昌(さか)んなるかな、頎(き)にして長し。抑(よく)として揚(あ)がるが若(ごと)く、美目揚たり。巧みに趨(はし)りて蹌(そう)たり、射れば則ち臧(よ)し。 猗嗟名(めい)なるかな、美目清し。儀既に成る。終日侯(まと)を射て、正(せい)を出でず。展(まこと)に我が甥なり。 猗嗟孌(れん)なるかな、清揚婉(えん)たり。舞えば則ち選(すぐ)れ、射れば則ち貫く。四矢反(かえ)り、以て乱を禦(ふせ)ぐ。

現代語訳

「猗嗟」の詩は、魯の荘公をそしったものである。斉の人々は、魯の荘公が威厳ある立ち居ふるまいと技芸を備えていながら、礼によって母(文姜)を取り締まることができず、子としての道を失い、人々から斉侯(襄公)の子ではないかと言われたことを痛んだのである。 ああ、なんと立派なことか、背が高くすらりとしている。額は広く秀で、美しい目もとが輝く。巧みに小走りして足取りも整い、弓を射ればみごとに当てる。 ああ、なんと名高く立派なことか、美しい目は澄んでいる。礼の作法はすでに整い、一日じゅう的を射ても、的の中心を外さない。まことにわが斉の甥御である。 ああ、なんと見目うるわしいことか、澄んだ目もとが愛らしい。舞えばぬきんで、射れば的を貫く。四本の矢は同じ所に重なって当たり、これで乱を防ぐことができよう。

解説

すらりとした長身、澄んだ目もと、整った礼の作法、的の中心を外さない弓の腕と、魯の荘公の美質を三章にわたって讃える詩である。荘公は魯の桓公と文姜の子で、斉の人から見れば「甥」にあたる。毛詩序は、荘公が威儀と技芸を備えながら、礼によって母の文姜を抑えられず、子の道を失ったことを斉の人が痛んだ詩と読んだ。そう読むと、「展(まこと)に我が甥なり」という一句には、斉侯の子ではないかという噂を打ち消すようでいて、かえって思い出させる、苦い含みが生じる。朱熹も、ほめ言葉の裏に惜しむ気持ちがあると見ている。詩の表面だけを読めば、若い君主への素直な讃歌である。どれほど才に恵まれても、家の中の問題から逃れられないことがある。人の評価は、技芸だけでは定まらない。

この章句が説くこと

詩経斉弓射魯荘公

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