詩経 / 国風・鄭風・東門之墠
《東門之墠》,刺亂也。男女有不待禮而相奔者也。 東門之墠,茹藘在阪。其室則邇,其人甚遠! 東門之栗,有踐家室。豈不爾思?子不我即!
新字:《東門之墠》,刺乱也。男女有不待礼而相奔者也。 東門之墠,茹藘在阪。其室則邇,其人甚遠! 東門之栗,有践家室。豈不爾思?子不我即!
書き下し
東門之墠(とうもんのせん)は、乱を刺るなり。男女、礼を待たずして相奔(はし)る者有るなり。 東門の墠(せん)、茹藘(じょりょ)阪(さか)に在り。其の室は則ち邇(ちか)きも、其の人は甚だ遠し。 東門の栗、践(せん)たる家室有り。豈に爾(なんじ)を思わざらんや、子(し)我に即(つ)かず。
現代語訳
「東門之墠」の詩は、世の乱れをそしったものである。男女のなかに、礼による手続きを待たずに駆け落ちする者がいたことをいう。 東の門のそばの平らにならした広場、坂にはあかねが生えている。その家はこんなに近いのに、その人ははるかに遠い。 東の門のそばの栗の木、そこに整った家並みがある。あなたを思わないことがあろうか、ただあなたがわたしのもとへ来てくれないのだ。
解説
東の門の外の広場、坂のあかね、栗の木のある家並みと、相手の家のそばの景色を並べ、「家はこんなに近いのに人は遠い」「あなたを思わないはずがないのに、あなたが来てくれない」と歌う。毛詩序はこれを、男女が礼の手続きを待たずに結びつこうとする乱れをそしる詩とした。しかし詩の言葉そのものには、奔る激しさよりも、近くにいながら届かないもどかしさが強く出ている。「其の室は則ち邇きも、其の人は甚だ遠し」は、物の距離と心の距離のずれを言い当てた句として印象深い。『論語』子罕篇には、「豈に爾を思わざらんや、室是れ遠ければなり」という逸詩を引いたあとに、孔子が「未だこれを思わざるなり、夫れ何の遠きことか之れ有らん」と述べた条がある。遠いと嘆くのは本当に思っていないからだ、という厳しい言葉である。
この章句が説くこと
詩経鄭恋距離論語
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