詩経 / 国風・鄭風・褰裳
《褰裳》,思見正也。狂童恣行,國人思大國之正己也。 子惠思我,褰裳涉溱。子不我思,豈無他人?狂童之狂也且! 子惠思我,褰裳涉洧。子不我思,豈無他士?狂童之狂也且!
新字:《褰裳》,思見正也。狂童恣行,国人思大国之正己也。 子恵思我,褰裳渉溱。子不我思,豈無他人?狂童之狂也且! 子恵思我,褰裳渉洧。子不我思,豈無他士?狂童之狂也且!
書き下し
褰裳(けんしょう)は、正されんことを思うなり。狂童、恣(ほしいまま)に行い、国人、大国の己を正さんことを思うなり。 子(し)恵(めぐ)みて我を思わば、裳(もすそ)を褰(かか)げて溱(しん)を渉らん。子、我を思わずんば、豈に他人無からんや。狂童の狂なるや且(しょ)。 子恵みて我を思わば、裳を褰げて洧(い)を渉らん。子、我を思わずんば、豈に他士無からんや。狂童の狂なるや且。
現代語訳
「褰裳」の詩は、正されることを願ったものである。狂った若者(鄭の公子たち)が勝手なふるまいをするので、国の人々が、大国が来て自分たちを正してくれることを願ったのである。 あなたがわたしを愛して思ってくれるなら、裳をからげて溱(しん)の川を渡っていこう。あなたがわたしを思ってくれないなら、ほかに人がいないとでもいうの。ばかな坊やの、なんてばかなこと。 あなたがわたしを愛して思ってくれるなら、裳をからげて洧(い)の川を渡っていこう。あなたがわたしを思ってくれないなら、ほかに男がいないとでもいうの。ばかな坊やの、なんてばかなこと。
解説
「あなたが思ってくれるなら裳をからげて川を渡っていく、思ってくれないなら他に人がいないとでも」と、女が男を突き放すように歌う。溱と洧は鄭の国を流れる二つの川である。毛詩序はこれを、鄭の公子たちが位を争って乱れたので、国人が大国に来て正してほしいと願った詩と読み、「子」を大国の君、「狂童」を争う公子に当てた。朱熹は、女が恋人に戯れて言う歌とする。詩の勢いのある口ぶりからは、後者の読みの方が生き生きと伝わる。『春秋左氏伝』昭公十六年には、鄭の子大叔がこの詩を賦して、晋の韓宣子に助けを求める意を伝えた場面がある。恋の言葉が外交の言葉にも使われたのである。求めるだけでなく、相手が応えなければ去るという強さも、関係を保つ一つの形である。
この章句が説くこと
詩経鄭恋外交溱洧
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