詩経 / 国風・鄭風・蘀兮
《蘀兮》,刺忽也。君弱臣強,不倡而和也。 蘀兮蘀兮,風其吹女!叔兮伯兮,倡予和女! 蘀兮蘀兮,風其漂女!叔兮伯兮,倡予要女!
書き下し
蘀兮(たくけい)は、忽を刺るなり。君弱く臣強く、倡(とな)えずして和するなり。 蘀(おちば)よ蘀よ、風其れ女(なんじ)を吹かん。叔よ伯よ、倡えよ、予(われ)女に和せん。 蘀よ蘀よ、風其れ女を漂(ひるがえ)さん。叔よ伯よ、倡えよ、予女に要(あわ)せん。
現代語訳
「蘀兮」の詩は、鄭の忽をそしったものである。君主が弱く臣下が強いので、君主が先に唱えないのに臣下が勝手に唱和している(主導権が臣下にある)ことをいう。 枯れ葉よ、枯れ葉よ、風がおまえを吹き飛ばそうとしている。叔さん、伯さん、歌い出しておくれ、わたしがあなたに合わせて歌うから。 枯れ葉よ、枯れ葉よ、風がおまえを舞い上げようとしている。叔さん、伯さん、歌い出しておくれ、わたしがあなたに調子を合わせるから。
解説
風に吹かれて舞う枯れ葉を歌い起こし、「叔よ伯よ、歌い出して、わたしが合わせるから」と呼びかける短い歌である。毛詩序は、君主の忽が弱く臣下が強いために、君が唱える前に臣が勝手に動いている、と読んだ。枯れ葉が風のままに舞うさまを、主導権を失った君主にたとえたのである。朱熹は、これを女が男に歌を誘いかける歌とする。村の祭りや野での歌の掛け合いを思わせる、軽やかな調子の詩である。「倡」と「和」、つまり先に唱える者と応じる者の関係は、古代の礼楽では上下の秩序をあらわす言葉でもあった。誰が先に声を上げ、誰が応じるのか。組織でも家庭でも、その順序が崩れたとき、全体が風に吹かれる枯れ葉のようになる。
この章句が説くこと
詩経鄭歌君臣興
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