詩経 / 国風・鄭風・清人
《清人》,刺文公也。高克好利而不顧其君,文公惡而欲遠之不能。使高克將兵而禦狄于竟,陳其師旅,翱翔河上。久而不召,眾散而歸,高克奔陳。公子素惡高克進之不以禮,文公退之不以道,危國亡師之本,故作是詩也。 清人在彭,駟介旁旁。二矛重英,河上乎翱翔。 清人在消,駟介麃麃。二矛重喬,河上乎逍遙。 清人在軸,駟介陶陶。左旋右抽,中軍作好。
新字:《清人》,刺文公也。高克好利而不顧其君,文公悪而欲遠之不能。使高克将兵而禦狄于竟,陳其師旅,翱翔河上。久而不召,衆散而帰,高克奔陳。公子素悪高克進之不以礼,文公退之不以道,危国亡師之本,故作是詩也。 清人在彭,駟介旁旁。二矛重英,河上乎翱翔。 清人在消,駟介麃麃。二矛重喬,河上乎逍遥。 清人在軸,駟介陶陶。左旋右抽,中軍作好。
書き下し
清人は、文公を刺るなり。高克(こうこく)利を好みて其の君を顧みず、文公悪(にく)みてこれを遠ざけんと欲するも能わず。高克をして兵を将いて狄を竟(さかい)に禦(ふせ)がしめ、其の師旅を陳(つら)ね、河上に翱翔(こうしょう)せしむ。久しくして召さず、衆散じて帰り、高克陳に奔る。公子素(そ)、高克の進むこと礼を以てせず、文公の退くること道を以てせざるを悪み、国を危うくし師を亡ぼすの本なりとす。故に是の詩を作るなり。 清の人彭(ほう)に在り、駟介(しかい)旁旁(ほうほう)たり。二矛(にぼう)英(えい)を重ね、河上に翱翔す。 清の人消(しょう)に在り、駟介麃麃(ひょうひょう)たり。二矛喬(きょう)を重ね、河上に逍遥(しょうよう)す。 清の人軸(じく)に在り、駟介陶陶(とうとう)たり。左に旋(めぐ)り右に抽(ぬ)き、中軍好(よ)きを作す。
現代語訳
「清人」の詩は、鄭の文公を風刺したものである。高克は利を好んで主君を顧みず、文公は彼を憎んで遠ざけたいと思ったが、それができなかった。そこで高克に兵を率いさせ、国境で狄を防がせることにし、軍勢を黄河のほとりに並べてぶらぶらと留め置いた。いつまでたっても呼び戻さなかったので、兵たちは散り散りになって帰ってしまい、高克は陳の国へ逃げた。公子素(そ)は、高克が礼によらずに取り立てられ、文公もまた道によらずに彼を退けたことを憎み、これこそ国を危うくし軍を失う元だと考えた。そこでこの詩を作ったのである。 清の町の兵士たちは彭の地に陣取り、鎧をつけた四頭立ての馬はしきりに駆け回る。二本の矛には赤い房飾りが重なり、黄河のほとりをあてもなくさまよう。 清の町の兵士たちは消の地に陣取り、鎧をつけた四頭立ての馬は勇ましく駆ける。二本の矛には雉の羽飾りが重なり、黄河のほとりをぶらぶらとうろつく。 清の町の兵士たちは軸の地に陣取り、鎧をつけた四頭立ての馬はのんびりと進む。御者は左へ回り、戦士は右で刀を抜いて見せ、中軍の将は得意げにふるまう。
解説
この章句が説くこと
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