詩経 / 国風・鄭風・叔于田
《叔于田》,刺莊公也。叔處于京,繕甲治兵,以出于田,國人說而歸之。 叔于田,巷無居人。豈無居人?不如叔也,洵美且仁。 叔于狩,巷無飲酒。豈無飲酒?不如叔也,洵美且好。 叔適野,巷無服馬。豈無服馬?不如叔也,洵美且武。
新字:《叔于田》,刺荘公也。叔処于京,繕甲治兵,以出于田,国人説而帰之。 叔于田,巷無居人。豈無居人?不如叔也,洵美且仁。 叔于狩,巷無飲酒。豈無飲酒?不如叔也,洵美且好。 叔適野,巷無服馬。豈無服馬?不如叔也,洵美且武。
書き下し
叔于田(しゅくうでん)は、荘公を刺るなり。叔京(けい)に処(お)り、甲を繕い兵を治め、以て田に出づ。国人説(よろこ)びてこれに帰す。 叔田(かり)に于(ゆ)けば、巷(ちまた)に居る人無し。豈(あに)居る人無からんや、叔に如(し)かざるなり、洵(まこと)に美にして且つ仁なり。 叔狩(かり)に于けば、巷に酒を飲むもの無し。豈酒を飲むもの無からんや、叔に如かざるなり、洵に美にして且つ好(よ)し。 叔野に適(ゆ)けば、巷に馬を服(つか)うもの無し。豈馬を服うもの無からんや、叔に如かざるなり、洵に美にして且つ武なり。
現代語訳
「叔于田」の詩は、鄭の荘公を風刺したものである。荘公の弟の叔(共叔段)は京の町に住み、鎧を繕い武器を整えて狩りに出かけた。国の人々は喜んで叔になびいた。 叔が狩りに出かけると、町の通りには誰もいなくなったかのようだ。本当に誰もいないわけではない、ただ叔に及ぶ者がいないのだ、まことに美しく、しかも情け深い。 叔が冬の狩りに出かけると、町の通りには酒を飲む者もいなくなったかのようだ。本当に酒を飲む者がいないわけではない、ただ叔に及ぶ者がいないのだ、まことに美しく、しかも立派だ。 叔が郊外の野に出かけると、町の通りには馬を操る者もいなくなったかのようだ。本当に馬を操る者がいないわけではない、ただ叔に及ぶ者がいないのだ、まことに美しく、しかも勇ましい。
解説
この章句が説くこと
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