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詩経 / 国風・鄭風・将仲子

《將仲子》,刺莊公也。不勝其母,以害其弟。弟叔失道而公弗制,祭仲諫而公弗聽,小不忍以致大亂焉。 將仲子兮!無踰我里,無折我樹杞。豈敢愛之?畏我父母。仲可懷也,父母之言,亦可畏也! 將仲子兮!無踰我牆,無折我樹桑。豈敢愛之?畏我諸兄。仲可懷也,諸兄之言,亦可畏也! 將仲子兮!無踰我園,無折我樹檀。豈敢愛之?畏人之多言。仲可懷也,人之多言,亦可畏也。

新字:《将仲子》,刺荘公也。不勝其母,以害其弟。弟叔失道而公弗制,祭仲諫而公弗聴,小不忍以致大乱焉。 将仲子兮!無踰我里,無折我樹杞。豈敢愛之?畏我父母。仲可懐也,父母之言,亦可畏也! 将仲子兮!無踰我牆,無折我樹桑。豈敢愛之?畏我諸兄。仲可懐也,諸兄之言,亦可畏也! 将仲子兮!無踰我園,無折我樹檀。豈敢愛之?畏人之多言。仲可懐也,人之多言,亦可畏也。

書き下し

将仲子(しょうちゅうし)は、荘公を刺るなり。其の母に勝(た)えずして、以て其の弟を害す。弟叔道を失いて公制せず、祭仲(さいちゅう)諫めて公聴かず、小しく忍びずして以て大乱を致すなり。 将(こ)う仲子(ちゅうし)よ、我が里を踰(こ)ゆる無かれ、我が樹(う)えし杞(こりやなぎ)を折る無かれ。豈(あに)敢えて之を愛(お)しまんや、我が父母を畏るるなり。仲は懐(おも)うべきも、父母の言も、亦畏るべきなり。 将う仲子よ、我が牆(かき)を踰ゆる無かれ、我が樹えし桑を折る無かれ。豈敢えて之を愛しまんや、我が諸兄を畏るるなり。仲は懐うべきも、諸兄の言も、亦畏るべきなり。 将う仲子よ、我が園を踰ゆる無かれ、我が樹えし檀(まゆみ)を折る無かれ。豈敢えて之を愛しまんや、人の多言を畏るるなり。仲は懐うべきも、人の多言も、亦畏るべきなり。

現代語訳

「将仲子」の詩は、鄭の荘公を風刺したものである。荘公は母の意向に逆らえず、そのために弟を害することになった。弟の叔(共叔段)が道を外れても荘公はこれを抑えず、祭仲が諫めても荘公は聞き入れず、小さなことを我慢できずに大乱を招いたのである。 お願い仲子さん、私の村の垣を越えて来ないで、私が植えた杞柳(こりやなぎ)を折らないで。木が惜しいのではない、父と母が怖いのです。あなたのことは恋しいけれど、父母の小言も、やはり怖いのです。 お願い仲子さん、私の家の塀を越えて来ないで、私が植えた桑を折らないで。木が惜しいのではない、兄さんたちが怖いのです。あなたのことは恋しいけれど、兄さんたちの小言も、やはり怖いのです。 お願い仲子さん、私の家の庭を越えて来ないで、私が植えた檀(まゆみ)を折らないで。木が惜しいのではない、人のうわさが怖いのです。あなたのことは恋しいけれど、人のうわさも、やはり怖いのです。

解説

塀を越えて会いに来ようとする恋人に、父母が怖い、兄たちが怖い、人のうわさが怖い、と訴える娘の歌である。恋しいけれど怖い、という揺れる心が、村の垣から家の塀、庭へと近づく恋人の足取りとともに描かれ、詩そのものは生き生きとした恋の歌として読める。朱熹もこれを淫奔の者の言葉と見た。一方、毛詩序は、鄭の荘公が母の武姜に逆らえず、弟の共叔段の専横を許した末に討つことになった事件を刺ったものとする。『左伝』隠公元年によれば、祭仲は早めに段を抑えるよう諫めたが、荘公は「多く不義を行えば必ず自ら斃れん」と言って時を待った。序は「仲子」を祭仲と見て、諫めを退ける荘公の言葉として読んだのである。恋を妨げるものとして、父母、兄弟、そして世間の口が段階的に挙げられるところに、人を縛るものの正体がよく表れている。

この章句が説くこと

詩経恋世間鄭左伝

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