詩経 / 国風・王風・兔爰
《兔爰》,閔周也。桓王失信,諸侯背叛,構怨連禍,王師傷敗,君子不樂其生焉。 有兔爰爰,雉離于羅。我生之初,尚無為。我生之後,逢此百罹,尚寐無吪! 有兔爰爰,雉離于罦。我生之初,尚無造。我生之後,逢此百憂,尚寐無覺! 有兔爰爰,雉離于罿。我生之初,尚無庸。我生之後,逢此百凶,尚寐無聰!
新字:《兔爰》,閔周也。桓王失信,諸侯背叛,構怨連禍,王師傷敗,君子不楽其生焉。 有兔爰爰,雉離于羅。我生之初,尚無為。我生之後,逢此百罹,尚寐無吪! 有兔爰爰,雉離于罦。我生之初,尚無造。我生之後,逢此百憂,尚寐無覚! 有兔爰爰,雉離于罿。我生之初,尚無庸。我生之後,逢此百凶,尚寐無聰!
書き下し
兔爰(とえん)は、周を閔うるなり。桓王信を失い、諸侯背叛し、怨みを構え禍いを連ね、王師傷敗し、君子其の生を楽しまず。 兔有り爰爰(えんえん)たり、雉(きじ)は羅(あみ)に離(かか)る。我が生の初めは、尚(なお)為すこと無かりき。我が生の後は、此の百罹(ひゃくり)に逢う、尚わくは寐(い)ねて吪(うご)くこと無からん。 兔有り爰爰たり、雉は罦(ふ)に離る。我が生の初めは、尚造(な)すこと無かりき。我が生の後は、此の百憂に逢う、尚わくは寐ねて覚むること無からん。 兔有り爰爰たり、雉は罿(しょう)に離る。我が生の初めは、尚庸(もち)いること無かりき。我が生の後は、此の百凶に逢う、尚わくは寐ねて聡(き)くこと無からん。
現代語訳
「兔爰」の詩は、周の衰えを悲しんだものである。周の桓王は信義を失い、諸侯はそむき、恨みを買っては災いを重ね、王の軍は傷つき敗れ、君子たちは生きることを楽しめなくなった。 兎はのんびりと逃げおおせ、雉は網にかかってしまう。私が生まれた頃は、まだ何事も起こらなかった。私が生まれてのちは、こんなにも多くの災いに遭う。いっそ眠ったまま、もう動かずにいたいものだ。 兎はのんびりと逃げおおせ、雉は仕掛け網にかかってしまう。私が生まれた頃は、まだ何の騒ぎもなかった。私が生まれてのちは、こんなにも多くの憂いに遭う。いっそ眠ったまま、もう目覚めずにいたいものだ。 兎はのんびりと逃げおおせ、雉は覆い網にかかってしまう。私が生まれた頃は、まだ労役に駆り出されることもなかった。私が生まれてのちは、こんなにも多くの凶事に遭う。いっそ眠ったまま、もう何も聞かずにいたいものだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・先己④詩に曰く、「轡を執ること組の如し。」孔子曰く、「此の言を審らかにすれば、以て天下を為む可し。」子貢曰く、「何ぞ其れ躁なるや。」孔子曰く、「其の躁なるを謂うに非ざるなり。其の之を此に為めて、文を彼に成すを謂えるなり。」聖人は其の身を組修して、文を天下に成す。故に子華子曰く、「丘陵成りて、穴する者安んじ、深淵成りて魚鱉安んじ、松柏成りて塗の人已に蔭せらる。」
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論語・八佾篇『関雎』は楽しくして淫せず、哀しくして傷(やぶ)らず。
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荀子・宥坐篇詩に曰く、「彼の日月を瞻(み)れば、悠悠たり我が思い。道の云(ここ)に遠き、曷(いつ)か云に能く来たらん」と。子曰く、「伊(そ)れ稽首(けいしゅ)せば、其れ来たること有らざらんや」と。
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『呻吟語』外篇・治道・民の父母『詩』に云ふ、「樂しき君子は、民の父母」と。又た曰く、「豈弟の君子は、民の父母」と。君子は『詩』に觀て、政を為すの道を知るなり。
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