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詩経 / 国風・王風・黍離

《黍離》,閔宗周也。周大夫行役至于宗周,過故宗廟宮室,盡為禾黍。閔周室之顛覆,彷徨不忍去,而作是詩也。 彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉! 彼黍離離,彼稷之穗。行邁靡靡,中心如醉。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉! 彼黍離離,彼稷之實。行邁靡靡,中心如噎。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉!

新字:《黍離》,閔宗周也。周大夫行役至于宗周,過故宗廟宮室,尽為禾黍。閔周室之顛覆,彷徨不忍去,而作是詩也。 彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心揺揺。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉! 彼黍離離,彼稷之穂。行邁靡靡,中心如酔。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉! 彼黍離離,彼稷之実。行邁靡靡,中心如噎。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉!

書き下し

黍離(しょり)は、宗周を閔(うれ)うるなり。周の大夫行役して宗周に至り、故(もと)の宗廟宮室を過ぐるに、尽く禾黍(かしょ)と為る。周室の顛覆を閔え、彷徨(ほうこう)して去るに忍びず、而して是の詩を作るなり。 彼の黍(きび)離離(りり)たり、彼の稷(しょく)の苗。行き邁(ゆ)くこと靡靡(びび)たり、中心揺揺(ようよう)たり。我を知る者は、我が心憂うと謂い、我を知らざる者は、我何をか求むと謂う。悠悠たる蒼天、此れ何人(なんぴと)ぞや。 彼の黍離離たり、彼の稷の穂。行き邁くこと靡靡たり、中心酔えるが如し。我を知る者は、我が心憂うと謂い、我を知らざる者は、我何をか求むと謂う。悠悠たる蒼天、此れ何人ぞや。 彼の黍離離たり、彼の稷の実。行き邁くこと靡靡たり、中心噎(むせ)ぶが如し。我を知る者は、我が心憂うと謂い、我を知らざる者は、我何をか求むと謂う。悠悠たる蒼天、此れ何人ぞや。

現代語訳

「黍離」の詩は、宗周(西周の旧都)の荒廃を悲しんだものである。周の大夫が役目で旧都の宗周に来て、かつての宗廟や宮殿の跡を通り過ぎると、そこはすっかり黍(きび)や高粱(こうりゃん)の畑になっていた。周王朝が覆ったことを悲しみ、さまよい歩いて立ち去るに忍びず、この詩を作ったのである。 あの黍はずらりと実り、あの稷(たかきび)は苗を伸ばしている。足取りは重くのろのろと進み、胸の内は揺れ動いて定まらない。私を知る人は、この人は心に憂いがあるのだと言い、私を知らない人は、この人は何を探しているのかと言う。はるかな青い天よ、こんなことにしたのはいったい誰なのか。 あの黍はずらりと実り、あの稷は穂をつけている。足取りは重くのろのろと進み、胸の内は酔ったように朦朧としている。私を知る人は、この人は心に憂いがあるのだと言い、私を知らない人は、この人は何を探しているのかと言う。はるかな青い天よ、こんなことにしたのはいったい誰なのか。 あの黍はずらりと実り、あの稷は実を結んでいる。足取りは重くのろのろと進み、胸の内は物がつかえたようにむせぶ。私を知る人は、この人は心に憂いがあるのだと言い、私を知らない人は、この人は何を探しているのかと言う。はるかな青い天よ、こんなことにしたのはいったい誰なのか。

解説

かつて王朝の宗廟や宮殿が立ち並んでいた旧都が、今は一面の黍畑になっている。その中をさまよい、立ち去れずにいる者の嘆きを歌った詩である。毛詩序は、西周が滅んで平王が東の洛邑に遷ったのち、周の大夫が旧都の宗周を通り、宮室の跡が畑になっているのを見て悲しんだものとする。これが王風の巻頭に置かれ、周王室の衰退を象徴する詩となった。苗から穂、実へと季節が進むのに、胸のつかえは深まるばかりという構成が巧みである。「我を知る者は我が心憂うと謂い、我を知らざる者は我何をか求むと謂う」は、自分の憂いが理解されない孤独を言い当てた句として、後世繰り返し引かれた。「黍離の嘆」は、国が滅び栄華の跡が荒れ果てたことを嘆く成語となり、杜甫の「国破れて山河在り」にも通じる感慨である。

この章句が説くこと

詩経亡国周黍離の嘆王風

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